セミナリオ(読み)せみなりお(英語表記)seminario ポルトガル語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「セミナリオ」の意味・わかりやすい解説

セミナリオ
せみなりお
seminario ポルトガル語

キリシタン宗門の初等教育機関。将来、聖職者を志す少年たちにのみ入学が許された事情からは「神学校」と訳される。1579年(天正7)に来日したイエズス会日本巡察師バリニャーノは、日本人聖職者を養成する必要を認め、翌年から有馬(ありま)(長崎県南島原(みなみしまばら)市)と安土(あづち)(滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市)にセミナリオを開設し、良家のキリシタンの少年を入学させ、学則を定めた。学科目のおもなものはラテン語で、音楽、日本語も教授された。安土の学校は本能寺の変によって京都、高槻(たかつき)、大坂と転じたのち、1588年からは有馬の学校と合併したが、その学校も江戸幕府禁教令によって1614年(慶長19)に廃されるまで九州各地を転々とした。これ以外に1601年には長崎に、教区司祭養成のためのセミナリオが開設された。

松田毅一

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セミナリオ」の意味・わかりやすい解説

セミナリオ
Seminario

イエズス会の教育機関。学院,神学校などと訳されるが,定訳はない。伝道士や日本人司祭の養成を目的とする中等教育程度の神学校であるが,オルガン奏者,合唱者,画家,彫刻家,印刷工の養成機関でもあり,一般子弟も入学した。イエズス会巡察師 A.バリニャーノの提案により,天正8 (1580) 年有馬に,翌年安土に設けられたが,その後,『バテレン追放令』などの相次ぐキリスト教禁制により変遷を重ね,慶長 19 (1614) 年島原半島の有家を最後に廃止された。ヨーロッパ学芸,技術の導入に少なからぬ貢献があった。 (→コレジヨ )  

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