服部六郎時定屋敷跡(読み)はつとりろくろうときさだやしきあと

日本歴史地名大系 「服部六郎時定屋敷跡」の解説

服部六郎時定屋敷跡
はつとりろくろうときさだやしきあと

[現在地名]上野市服部町

台上だいじよう寺寺域にあったと伝える。東西一〇〇メートル、南北七〇メートル、現本堂の東と北に土塁が残り、堀跡と推定される水田畑地があって、中世土豪の屋敷跡とされる。時定は伝承上の人物で、「三国地志」は服部村の「宮城氏宅址」を服部六郎時定後裔の地にあて、「伊水温故」は「頼朝卿ノ従士、服部六郎時定、当郷ノ産出、源氏服部ノ元祖也」とする。

平家物語」巻一二の「泊瀬六代」には「信太三郎先生義憲は(中略)伊賀の方へ落ぬと聞えしかば、服部平六先として、伊賀国へ発向す」とあり、義憲を千戸せんど(現阿山郡大山田村)山寺で自害せしめた功により、「服部平六、平家の祗候人たりしかば、没官せられたりける服部返し給はてげり」と述べ、平家領として没収された服部郷を復されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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