日本大百科全書(ニッポニカ) 「望月(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
望月(旧町名)
もちづき
長野県中東部、北佐久郡(きたさくぐん)にあった旧町名(望月町(まち))。現在は佐久市の西部を占める。旧望月町は1959年(昭和34)本牧(もとまき)町と布施(ふせ)、春日(かすが)、協和の3村が合併して成立。2005年(平成17)佐久市に合併。蓼科山(たてしなやま)北麓(ろく)にあり、旧町域の大部分は火山灰の粘土層からなる丘陵地。平安時代には官牧の望月牧の一部で、望月牧では旧暦8月15日望月(満月)の夜に朝廷に馬を献納した。近世は中山道(なかせんどう)(国道142号)望月宿で、現在も当時のおもかげを伝え、旅籠(はたご)と問屋を兼ねた真山家住宅(さなやまけじゅうたく)(国の重要文化財)が残っている。明治以降は現JR信越線から外れたため衰退し、現在は付近農村の買い物町。農業が主で、鹿曲(かくま)川沿いの米作のほか、薬用ニンジンを特産する。8月15日の夜に行われる大伴神社(おおともじんじゃ)の榊祭(さかきまつり)は県の代表的祭りの一つ。青年たちが松明(たいまつ)を手に山を駆け下りて、松明を川へ投げ込む。またサカキでつくった神輿(みこし)で暴れまわる。南部の春日温泉には馬事公園があり、蓼科山の山腹は別荘地として開発されている。
[小林寛義]