日本歴史地名大系 「望月宿」の解説 望月宿もちづきじゆく 長野県:北佐久郡望月町望月村望月宿[現在地名]望月町望月望月村の鹿曲(かくま)川西にある中山道の宿。東は瓜生(うりう)坂を経て八幡(やわた)宿(現浅科村)へ三二町。西は間の村茂田井(もたい)を経て芦田(あした)宿(現立科町)へ一里八町。慶長初期に古宮(こみや)・金井(かない)・原(はら)の集落を移住させて設置した。東の出入口から左折・右折・左折と屈曲した枡形を通り宿場に入る。長さ六町余の宿で、ほぼ中央左側に本陣(大森家)、その先右側に脇本陣(高野家)があり、ともに問屋を兼帯したが、本陣は初め名主も務めた(「家々代々記」大森家蔵)。脇本陣の西に現存する真山家(重要文化財)は明和二年(一七六五)頃建築の旅籠屋で問屋・名主も務めたこともあり、その他「(うだつ)」や「出桁(でげた)」などを残す民家がある(北佐久郡志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by