朝原内親王(読み)あさはらないしんのう

朝日日本歴史人物事典 「朝原内親王」の解説

朝原内親王

没年弘仁8.4.25(817.5.14)
生年宝亀10(779)
平安前期の皇女桓武天皇と異母妹酒人内親王の娘。母方祖母,廃后井上内親王を通して聖武天皇血統を受け継ぐ。祖母,母と同様伊勢斎宮とされ,7歳から18歳までを伊勢で過ごした。帰京後三品に叙せられ,異母兄平城天皇の妃となるが夫婦の間は冷たく,子供に恵まれないまま弘仁3(812)年34歳で妃を辞職。同8年,母に先立って亡くなった。その一周忌に当たる翌9年3月,母酒人は朝原の遺言を受けて経典1600巻,荘園約500町などを東大寺に寄進したが,その施入状からは子に先立たれた母の悲しみがうかがわれる。<参考文献>『平安遺文45号文書』

(西野悠紀子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝原内親王」の解説

朝原内親王 あさはらないしんのう

779-817 奈良-平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の皇女。
宝亀(ほうき)10年生まれ。母は酒人(さかひと)内親王。天応2年伊勢斎宮(さいぐう)となる。延暦(えんりゃく)15年京都にもどり,二品(にほん)をさずかり平城(へいぜい)天皇の妃となるが,弘仁(こうにん)3年妃を辞した。弘仁8年4月25日死去。39歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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