日本歴史地名大系 「朝椋神社」の解説 朝椋神社あさくらじんじや 和歌山県:和歌山市和歌山城下内町鷺森丁朝椋神社[現在地名]和歌山市鷺ノ森明神丁旧和歌山城下城北地区の産土神とされ、鷺森(さぎのもり)神社ともよばれる。旧村社。祭神は大国主(おおくにぬし)命。「延喜式」神名帳の名草(なくさ)郡「朝椋神社」、「紀伊国神名帳」の「従四位上朝椋神」に比定される。享保八年(一七二三)の「鷺森神社記」によると、延宝年間(一六七三―八一)和歌山藩の儒者李梅渓が、所在不明となっていた朝椋神社の古跡を求め、それまで顕国社と称していた当社に比定し、改称したとある。祭神は現在大国主命を祀るが、度会延経の「神名帳考証」は土佐の朝倉神社と同じく天石帆別(あめのいわほわけ)命ではなかったかとする。創建も「紀州名勝志」所載の朝椋神社伝に「上古鎮西将軍不知何御宇何許人攻伐之砌、為最勲故ニ造建」とあるが不詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by