20世紀日本人名事典 「朝田又七」の解説 朝田 又七アサダ マタシチ 明治期の実業家 横浜鉄道社長;貴院議員。 生年天保9年12月(1839年) 没年大正3(1914)年1月5日 出生地三河国豊橋(愛知県) 経歴初め漁船の船頭をしていたが、横浜に出て労役に従事後、同地で回漕店を営み、岩崎弥太郎に認められて、三菱の艀の業務を取り仕切る。のち横浜鉄道社長、横浜船渠社長を務め、横浜実業界で重きをなした。傍ら明治12年以降、横浜市議となり、38年議長も務め、水道拡張事業に尽力する。この間、神奈川県議、横浜瓦斯局長、横浜水道事務所長、横浜商業会議所議員、神奈川県防疫顧問などを歴任。36〜37年貴族院議員も務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝田又七」の解説 朝田又七 あさだ-またしち 1839*-1914 明治時代の実業家,政治家。天保(てんぽう)9年12月生まれ。横浜で回漕(かいそう)店をいとなみ,岩崎弥太郎にみとめられ,三菱の艀(はしけ)の業務をとりしきる。横浜鉄道,横浜船渠(ドツク)の各社長。明治36年貴族院議員。横浜市会議員在任中は,横浜の水道拡張事業につくし,38年同議長。大正3年1月5日死去。77歳。三河(愛知県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by