朝見村(読み)あさみむら

日本歴史地名大系 「朝見村」の解説

朝見村
あさみむら

[現在地名]別府市朝見一―三丁目・原町はらまち、別府 乙原おとばる

別府村の南、東流する朝見川の中流域に位置する。古代令制下の速見郡朝見郷(和名抄)、それを引継いだ中世の朝見郷の遺称地。江戸時代中期以前の郷帳類に村名はなく、貝原益軒は「豊国紀行」に「浜脇と別府の間に小川有。浅見川と云。立石村の下に浅見村ある故なり」と記す。元禄郷帳に浅見村とあり、高三〇四石余。当時は幕府領で以後別府村と同じ領主変遷をたどる。寛延元年(一七四八)の横灘中竈門人数等改帳(秋吉家文書)によると竈数六二・人数六一九、牛六七・馬三、田一六町二反余、生姜栽培一町三反余・七島藺栽培一町二反余。入会地をめぐって隣の別府村や浜脇はまわき村としばしば争論が起こっている。享和三年(一八〇三)・弘化二年(一八四五)には牛野飼うしのかい秣場をめぐって浜脇・田野口たのくち両村と争論が起こり、両村は毎年八十八夜までに当村に金一両三分を支払うことで和談が成立した(「朝見・別府・浜脇・田野口村秣場争論一件」別府市立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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