朝鮮の儒教(読み)ちょうせんのじゅきょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝鮮の儒教」の意味・わかりやすい解説

朝鮮の儒教
ちょうせんのじゅきょう

朝鮮の儒教は中国から伝わり,三国時代にはかなり一般化していた。統一新羅,高麗の両時代には儒教も奨励されはしたが,仏教が支配的な地位にあった。李朝が成立するに及んで,儒教が国家の指導原理として登場した。崇儒抑仏政策のもとに朱子学は 16世紀に入って,その哲学的体系を確立した。その後儒学者たちは李退渓学派と李栗谷学派に分れて,「四七理気論争」を展開した。この論争はほとんど党争と結びつき,李朝末期にいたるまで継続され,その弊害ははなはだしかった。 17世紀頃に「実事求是」のスローガンのもとに,実学派が台頭し,政府の政策には取入れられず不振に終ったが,開化派などの思想的背景として継承された。

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