李退渓(読み)りたいけい(英語表記)(R)I T`oe-gye

精選版 日本国語大辞典 「李退渓」の意味・読み・例文・類語

り‐たいけい【李退渓】

朝鮮李朝の代表的な朱子学者。名は滉(こう)諸官を歴任したあと、郷里陶山書院をおこし、朱子学の研究指導にあたった。「啓蒙伝疑」「聖学十図」「朱子書節要」などの著で、江戸儒学にも大きな影響を与えた。(一五〇一‐七〇

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改訂新版 世界大百科事典 「李退渓」の意味・わかりやすい解説

李退渓 (りたいけい)
(R)I T`oe-gye
生没年:1501-70

〈東方の小朱子〉と称される朝鮮,李朝の代表的文臣,儒者。本名は李滉(りこう)。初名は瑞鴻。字は景浩,初字は季浩。号は退渓のほか陶翁,清涼山人。真宝の人。李埴の子で,叔父李や郷校で李賢輔の指導を受け,文科及第成均館の司成になったが,1545年(乙巳(いつし))の士禍に連坐して官職を失った。中央官界の暗闘に絶望した彼は,隠退して洛東江上流兎渓(とけい)に養真庵を築き,兎渓を退渓と改めてみずからの号とし,学問に専心した。しかし,たび重なる任官の命を拒めず,丹陽,豊基の郡守,成均館大司成等に任じ,豊基郡守のときには,朝鮮最初の賜額書院である紹修書院を実現させた。59年帰郷し,翌年陶山書院を建て,以後は学問と後進の指導に従事した。彼の学問は敬を重視し,徹底した内省を出発点とするもので,この立場から朱熹(しゆき)(子)の理気論を発展させ,理自体の動静(運動性)を明言し,〈四端七情〉について理気の互発を主張した。この四端七情と理気との関係をめぐり,奇大升と長年の論争を行ったが,これはのちに継承されて,李朝儒学界の中心課題の一つとなった。彼は謙虚な大学者として歴代の王や学者から党派を超えて尊敬を受け,同時代の李栗谷(りりつこく)とともに朝鮮儒学の最高峰とされる。その学説は,日本の林羅山,藤原惺窩,山崎闇斎らにも大きな影響を与えた。門人に趙穆,金誠一,柳成竜らが輩出し,その学統は嶺南学派とよばれる。著書には《自省録》《易学啓蒙伝疑》等を収めた《退渓全書》や,朱熹の書簡を抜粋した《朱子書節要》がある。諡号(しごう)は文純。
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百科事典マイペディア 「李退渓」の意味・わかりやすい解説

李退渓【りたいけい】

朝鮮王朝の代表的な儒学者,思想家。文科に及第していったん官位についたが,官界・政界の暗闘に絶望して隠退し,洛東江上流の兎渓(とけい)に庵を築いて学問に専心した。この時兎渓を退渓と改めて自分の号とした。その後度重なる官位任命を断り切れず,丹陽,豊基の郡主,成均館の大司成を務め,朝鮮最初の書院である紹修書院を設置させた。1559年,故郷安東に帰り,60年に陶山書院を建て,以後は学問と教育に専念した。深い内省に基づき,朱子の理気論を展開させ,理自体の運動性を強調する学説を提起,この問題は,以後朝鮮儒学の中心的な課題の一つとなった。同時代の李栗谷とともに朝鮮王朝時代の儒学の最高峰とされ,著作は日本でも江戸時代を通じて読まれ,林羅山や山崎闇斎をはじめ日本の儒学思想に大きな影響をもたらした。
→関連項目柳成龍

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李退渓」の意味・わかりやすい解説

李退渓
りたいけい
Ri T'oe-gye

[生]燕山君7(1501)
[没]宣祖3(1570)
朝鮮,李朝中期の儒学者。李滉。字は景浩。号は退渓,陶翁,退陶。慶尚北道礼安の人。中宗 22 (1527) 年進士となり,同 29年文科に及第,要職を歴任後,明宗 10 (55) 年退官し,朱子学の研究に没頭した。彼は朱子を承けて,万物は理と気から成るが,理は純善無悪,気は可善可悪とし,「四端は理が発して気がこれに従ったものであり,七情は気が発して理がこれに乗ったものである」と主張し,奇大升らと有名な「四七論争」を展開した。李滉の朱子学は日本の朱子学者山崎闇斎などにも多くの影響を及ぼした。また書にもすぐれ,李朝中期の書体の貴重な資料を残している。主著『天命図説』 (1巻) ,『朱子書節要』 (20巻) ,『退渓集』。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李退渓」の意味・わかりやすい解説

李退渓
りたいけい

李滉

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世界大百科事典(旧版)内の李退渓の言及

【朱子学】より


[朝鮮・日本への広がり]
 朱子学はやがて中国から東アジア世界に波及し,周辺諸国に大きな影響を与えたが,本国以上にこれを信奉したのは朝鮮であった。13世紀末の高麗時代に元から伝えられた朱子学は,次の李朝時代に入ると,国家教学に採用され,16世紀には李退渓(李滉(りこう)),李栗谷(りりつこく)(李珥(りじ))の二大儒が現れて朝鮮人の儒教として根を下ろした。この国の朱子学受容の特徴は,ひとつには李朝500年間にわたり朱子学一尊を貫徹したことで,仏教はいうにおよばず,陽明学も異端思想として厳しく拒絶された。…

※「李退渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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