〈東方の小朱子〉と称される朝鮮,李朝の代表的文臣,儒者。本名は李滉(りこう)。初名は瑞鴻。字は景浩,初字は季浩。号は退渓のほか陶翁,清涼山人。真宝の人。李埴の子で,叔父李や郷校で李賢輔の指導を受け,文科に及第後成均館の司成になったが,1545年(乙巳(いつし))の士禍に連坐して官職を失った。中央官界の暗闘に絶望した彼は,隠退して洛東江上流兎渓(とけい)に養真庵を築き,兎渓を退渓と改めてみずからの号とし,学問に専心した。しかし,たび重なる任官の命を拒めず,丹陽,豊基の郡守,成均館大司成等に任じ,豊基郡守のときには,朝鮮最初の賜額書院である紹修書院を実現させた。59年帰郷し,翌年陶山書院を建て,以後は学問と後進の指導に従事した。彼の学問は敬を重視し,徹底した内省を出発点とするもので,この立場から朱熹(しゆき)(子)の理気論を発展させ,理自体の動静(運動性)を明言し,〈四端七情〉について理気の互発を主張した。この四端七情と理気との関係をめぐり,奇大升と長年の論争を行ったが,これはのちに継承されて,李朝儒学界の中心課題の一つとなった。彼は謙虚な大学者として歴代の王や学者から党派を超えて尊敬を受け,同時代の李栗谷(りりつこく)とともに朝鮮儒学の最高峰とされる。その学説は,日本の林羅山,藤原惺窩,山崎闇斎らにも大きな影響を与えた。門人に趙穆,金誠一,柳成竜らが輩出し,その学統は嶺南学派とよばれる。著書には《自省録》《易学啓蒙伝疑》等を収めた《退渓全書》や,朱熹の書簡を抜粋した《朱子書節要》がある。諡号(しごう)は文純。
執筆者:山内 弘一
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[朝鮮・日本への広がり]
朱子学はやがて中国から東アジア世界に波及し,周辺諸国に大きな影響を与えたが,本国以上にこれを信奉したのは朝鮮であった。13世紀末の高麗時代に元から伝えられた朱子学は,次の李朝時代に入ると,国家教学に採用され,16世紀には李退渓(李滉(りこう)),李栗谷(りりつこく)(李珥(りじ))の二大儒が現れて朝鮮人の儒教として根を下ろした。この国の朱子学受容の特徴は,ひとつには李朝500年間にわたり朱子学一尊を貫徹したことで,仏教はいうにおよばず,陽明学も異端思想として厳しく拒絶された。…
※「李退渓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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