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木下孝則 きのした たかのり

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美術人名辞典の解説

木下孝則

洋画家。東京生。東大在学中に佐伯祐三里見勝蔵らとの交遊から油絵を描きはじめ、二科展で活躍し樗牛賞・二科賞を受賞。また渡仏してサロン・ドートンヌに出品する。二科展退会後、一水会創立に参加、会員となる。日展評議員。昭和48年(1973)歿、79才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木下孝則 きのした-たかのり

1894-1973 大正-昭和時代の洋画家。
明治27年2月24日生まれ。木下義謙(よしのり)の兄。佐伯祐三(ゆうぞう)らとまじわり,油絵をはじめる。大正10年フランスに留学し,帰国後樗牛(ちょぎゅう)賞,二科賞。一水会創立に参加。写実的な女性像を得意とし,戦後の一連のバレリーナの作品で知られた。昭和48年3月29日死去。79歳。東京出身。東京帝大中退。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木下孝則
きのしたたかのり
(1894―1973)

洋画家。東京生まれ。画家義謙(よしのり)は実弟。京都大学法科、ついで東京帝国大学文科に学ぶが、中退して画家となる。1921年(大正10)二科展に初入選し、同年渡仏して23年帰国する。翌年の二科展で樗牛(ちょぎゅう)賞、25年には二科賞を受ける。26年前田寛治、佐伯祐三(さえきゆうぞう)らと「一九三〇年協会」を創立する。28年(昭和3)ふたたび渡仏し、35年帰国。翌年の二科展に滞欧作を出品して二科会員となるが、同年退会して安井曽太郎(そうたろう)らの一水会創立に参加する。第二次世界大戦後は日展にも出品し、洗練された現代女性像で知られる。[小倉忠夫]

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世界大百科事典内の木下孝則の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは関東大震災の前後にフランスへ留学し,いわゆるエコール・ド・パリの雰囲気のなかで20世紀の反自然主義的な近代絵画の洗礼を受け,大正末ころにあいついで帰国してくる。里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。…

※「木下孝則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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