安井曽太郎(読み)ヤスイソウタロウ

デジタル大辞泉 「安井曽太郎」の意味・読み・例文・類語

やすい‐そうたろう〔やすゐソウタラウ〕【安井曽太郎】

[1888~1955]洋画家京都の生まれ。浅井忠師事。渡仏してピサロセザンヌなどの影響を受ける。帰国後、二科会参加、のち退会して一水会結成日本風土に即しつつ、明るく近代感覚あふれる画風を確立した。文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安井曽太郎」の意味・わかりやすい解説

安井曽太郎
やすいそうたろう
(1888―1955)

洋画家。明治21年5月17日京都市生まれ。1904年(明治37)聖護院(しょうごいん)洋画研究所に入り、浅井忠(ちゅう)、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)に学ぶ。2年後同研究所は関西美術院へと発展。07年渡仏してパリのアカデミー・ジュリアンで10年までジャン・ポール・ローランスに師事、その後自由研究に進み、ピサロやセザンヌの影響を受ける。イギリス、オランダベルギー、イタリアを巡遊して14年(大正3)に帰国。翌年の第2回二科展に滞欧作を特別陳列し、二科会会員となる。その後制作上の苦悩期が続くが、ようやく昭和初めから風景画、肖像画、静物画の各分野に個性ある様式を打ち出し、日本の風土と対象に即しつつ近代感覚に満ちた造形領域を開く。35年(昭和10)帝国美術院会員となり、二科会を退会し、翌年同志と一水会を創立する。満州国美術展覧会審査のために二度中国大陸へ旅行。44年帝室技芸員となるほか、同年から52年まで東京美術学校(のち東京芸術大学)教授を務める。49年日本美術家連盟の創設に際して初代会長に推されるほか、国立近代美術館評議員としても美術界に尽力し、52年に文化勲章を受ける。昭和の洋画界に梅原(龍三郎(りゅうざぶろう))・安井時代を築き、主観主義的な近代写実絵画を確立した功績は大きい。昭和30年12月14日没。毎日美術賞追贈。56年に開催された遺作展の収益により、57年に安井賞が設定された。代表作婦人像』『外房(そとぼう)風景』『金蓉(きんよう)』『深井英五氏像』『桃』ほか。

[小倉忠夫]

『嘉門安雄著『安井曽太郎』(1979・日本経済新聞社)』『富山秀男編『近代の美術42 安井曽太郎』(1977・至文堂)』『富山秀男他著『現代日本美術全集10 安井曽太郎他』(1972・集英社)』『富山秀男監修『安井曽太郎素描集』(1975・日動出版部)』


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20世紀日本人名事典 「安井曽太郎」の解説

安井 曽太郎
ヤスイ ソウタロウ

大正・昭和期の洋画家 東京芸術大学教授。



生年
明治21(1888)年5月17日

没年
昭和30(1955)年12月14日

出生地
京都府京都市中京区

学歴〔年〕
京都市立商〔明治36年〕中退

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和27年〕,現代日本美術展最優秀賞(第1回)〔昭和29年〕「オランダ皿と桃」,毎日美術賞(功労賞)〔昭和30年〕

経歴
木綿問屋の五男に生まれる。洋画を志して明治37年浅井忠の聖護院洋画研究所(後の関西美術院)に入り、40年からはフランスのアカデミー・ジュリアンでデッサンや油絵の基礎を学んで大正3年に帰国。翌年の第2回二科展に滞欧作品44点を出品、会員となった。その後昭和9年まで毎回出品し、この間、4年の第16回二科展の「坐像」で独自の作風を確立したが、10年に帝国美術院会員に任命されて二科会を脱会し、翌年、石井柏亭、有島生馬らと一水会を創立する。19年には東京美術学校(現・東京芸大)教授となり、帝室技芸員に。戦後の21年に眼病を患い、27年には東京芸大教授を辞任したが、この間、24年神奈川県の湯河原に画室をかまえ、同年日本美術家連盟が創設されるとその初代会長に推された。また死去の翌31年財団法人安井曽太郎記念会が組織され、以後毎年安井賞展が開かれている。他の代表作に「孔雀と女」「金蓉」「承徳の喇嘛廟」「深井英五氏像」「安倍先生像」「オランダ皿と桃」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「安井曽太郎」の解説

安井曽太郎
やすいそうたろう

1888〜1955
大正・昭和期の洋画家
京都の生まれ。浅井忠の門に入り,1907年渡仏し,セザンヌをはじめ印象派の影響をうけた。帰国後,近代洋画の確立に尽力し,二科会会員・帝国美術院会員となり,'36年一水会を結成。写実を根底に単純明快な形と色彩を追究した。'52年文化勲章受章。代表作に『孔雀と女』『金蓉』など。

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367日誕生日大事典 「安井曽太郎」の解説

安井 曽太郎 (やすい そうたろう)

生年月日:1888年5月17日
大正時代;昭和時代の洋画家。東京芸術大学教授
1955年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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