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木村謙次 きむら けんじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木村謙次 きむら-けんじ

1752-1811 江戸時代中期-後期の探検家。
宝暦2年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)久慈郡で医を業とする。寛政5年水戸藩の内命をうけて蝦夷(えぞ)地沿岸を踏査。10年には下野源助の変名で,近藤重蔵の国後(くなしり)・択捉(えとろふ)島探検にしたがった。文化8年7月6日死去。60歳。名は謙。字(あざな)は子虚。号は礼斎,酔古堂など。紀行に「北行日録」「庶事手扣(てびかえ)日記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

木村謙次

没年:文化8.7.6(1811.8.24)
生年:宝暦2(1752)
江戸後期の北方探検家。名は謙,字は子虚,号は酔古堂,酔古山館など。常陸国久慈郡天下野村(茨城県水府村)生まれ。若くして才能を認められ水戸の立原翠軒に学ぶ。34歳のときに松島,仙台に旅したのち,東北と蝦夷地を幾度となく調査する。寛政5(1793)年の水戸から松前までの日記『北行日録』は当時の東北地方,蝦夷地の状況を知る好史料。寛政10年に近藤重蔵の蝦夷地調査に加わる。択捉島に建てた「大日本恵土呂府」の題字を記した。また木村は医学も習得しており,北方探検中に近藤らを治療して助けたという。多くの北方関係史料を残している。<参考文献>山崎栄作編『木村謙次集』

(麓慎一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きむらけんじ【木村謙次】

1752‐1811(宝暦2‐文化8)
江戸後期の北方探検家。常陸国久慈郡天下野村の農家に生まれる。水戸の立原翠軒に儒学を,さらに京都に出て吉益東洞に医学を学ぶ。1793年(寛政5)水戸藩主徳川治保(はるもり)の許可を得て蝦夷地を視察,98年には幕命による近藤重蔵の蝦夷地探検に随行,国後(くなしり)島,択捉(えとろふ)島を調査。著書に《北辺紀聞》《帰北窺管》などの探検記のほか,農政を論じた《足民論》がある。【鈴木 暎一】

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