改訂新版 世界大百科事典 「木村謙次」の意味・わかりやすい解説 木村謙次 (きむらけんじ)生没年:1752-1811(宝暦2-文化8) 江戸後期の北方探検家。常陸国久慈郡天下野村の農家に生まれる。水戸の立原翠軒に儒学を,さらに京都に出て吉益東洞に医学を学ぶ。1793年(寛政5)水戸藩主徳川治保(はるもり)の許可を得て蝦夷地を視察,98年には幕命による近藤重蔵の蝦夷地探検に随行,国後(くなしり)島,択捉(えとろふ)島を調査。著書に《北辺紀聞》《帰北窺管》などの探検記のほか,農政を論じた《足民論》がある。執筆者:鈴木 暎一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村謙次」の解説 木村謙次 きむら-けんじ 1752-1811 江戸時代中期-後期の探検家。宝暦2年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)久慈郡で医を業とする。寛政5年水戸藩の内命をうけて蝦夷(えぞ)地沿岸を踏査。10年には下野源助の変名で,近藤重蔵の国後(くなしり)・択捉(えとろふ)島探検にしたがった。文化8年7月6日死去。60歳。名は謙。字(あざな)は子虚。号は礼斎,酔古堂など。紀行に「北行日録」「庶事手扣(てびかえ)日記」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by