未生斎一甫(読み)みしょうさいいっぽ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「未生斎一甫」の意味・わかりやすい解説

未生斎一甫
みしょうさいいっぽ
(1761―1824)

江戸後期のいけ花作家。未生流創始者で、山村山碩(さんせき)と称し幕臣の家に生まれたといわれる。若くから風流の道を志し、全国各地を放浪後、大坂に居住し未生流を創始する。晩年失明したが門人の指導を続け、「虚実等分(きょじつとうぶん)」の説をたて、生花(せいか)の三角形式を体系づけるなど、生花理論においても優れた業績を残している。失明後の一甫口述によるいけ花理論書として、1816年(文化13)に『本朝挿花百練』が刊行されている。

[北條明直]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「未生斎一甫」の解説

未生斎一甫 みしょうさい-いっぽ

1761-1824 江戸時代後期の華道家。
宝暦11年生まれ。未生流の創始者。幕臣の家に生まれ,山村山碩(さんせき)と称した。遠州流をまなび,諸国遍歴。のち大坂で流派をおこす。晩年失明したが教授をつづけ,口述で生け花の理論書「挿花百練」をあらわした。文政7年10月9日死去。64歳。

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世界大百科事典(旧版)内の未生斎一甫の言及

【いけばな】より

…明和から安永・天明期にかけては生花の諸流派が多数の成立をみた時代で,千家流,松月堂古流,古田流,遠州流,庸軒流,源氏流,但千流,正風流,千家我流,相阿弥流,宏道流,石州流,東山流などの流派が,それぞれの主張にもとづいて生花の教導をはじめた。生花がその花形(かぎよう)を明確に定めるのは文化・文政期(1804‐30)であって,陰陽五行説や地水火風空の五大を説いて花形を形成しようとした松月堂古流からはじまって,やがて天地人三才格による花形の定めが一般化し,円形の天に内接する正方形の地の図形を,さらに半切した三角形(鱗形)を求め,天枝・地枝・人枝の3本の役枝によって花形を定める,当時として最も合理的な未生斎一甫の考え方によって,生花はその花形を完成したものとみてよい。このことは幕府の倫理強化策とも相まって,生花を婦女子の修徳の習い事として庶民のあいだに浸透させることともなり,多数の社中を擁する流派が成立し組織としての家元制度の基盤が形づくられることとなった。…

【未生流】より

…いけばな流派の一つ。江戸時代文化年間(1804‐18)に未生斎一甫(みしようさいいつぽ)(1761‐1824)によって創流された。一甫は幕臣山村家の生れ。…

※「未生斎一甫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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