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末吉吉安 すえよし よしやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

末吉吉安 すえよし-よしやす

1570-1617 江戸時代前期の豪商,貿易商。
元亀(げんき)元年生まれ。末吉利方(としかた)の長男(娘婿とも)。父とともに徳川家康にしたがう。伏見銀座頭役をつとめ,慶長9年からはルソン方面との朱印船貿易をおこなう。大坂の陣後,摂津平野(大阪府),河内(かわち)(大阪府)志紀・河内の2郡の代官となった。元和(げんな)3年3月26日死去。48歳。通称は孫左衛門。名は吉康ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

末吉吉安

没年:元和3.3.26(1617.5.1)
生年:元亀1(1570)
安土桃山・江戸前期の豪商。朱印船貿易家。末吉利方の長男。通称孫左衛門。屋号平野屋。摂津平野庄(別名杭全庄,大阪市平野区)には末吉名という10町3段にもおよぶ大きな名田があり,名主末吉家が経営していた。末吉家は代々平野庄の年寄として租税徴収を請け負い,本家の東末吉家のほか,西末吉家,平野家が有力であった。大和,河内・摂津3国に手広く行商し,東末吉家は堺の南北庄で信長より馬座の権利を与えられ,秀吉より諸国往還自由の朱印状をもらう。西末吉家の利方も秀吉より営業税免除の朱印状を得,家康より分国中港湾出入り自由の保証を受けた。東末吉家は銀山の採掘にかかわったが,利方も関ケ原の戦ののちに銀座の創設を建議し,伏見の銀座の頭役となった。貨幣鋳造の利益は諸費を差し引いても総吹高の100分の5以上あったというから末吉家がいかに栄えたかがわかるであろう。 関ケ原の戦で家康に味方した利方家は江戸時代以降大いに栄え,吉安も朱印船貿易家として活躍した。呂宋国宛朱印状は慶長9(1604)年を皮切りに同10年,同11年,同12年,同14年,同15年,同16年の7回におよぶ。このほか安南,東京にも航している。その船は末吉船と呼ばれ,船底が深く外面を油石灰で塗り,上は丹土色に塗られ,120万斤から200万斤積み,米でいえば5000~8000石積みの大船であった。京都清水寺に残る末吉船の絵馬は三味線をひく者や双六,カルタに興じる者,太鼓を叩く者,キセルで煙草をふかす者などが描かれ,近世初期の風俗がうかがえる。<参考文献>岩生成一『朱印船貿易史の研究』,豊田武『増訂中世日本商業史の研究』,川島元次郎『徳川初期乃海外貿易家』

(武野要子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

末吉吉安
すえよしよしやす

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