末永節(読み)スエナガ ミサオ

20世紀日本人名事典 「末永節」の解説

末永 節
スエナガ ミサオ

明治〜昭和期の革命



生年
明治2年11月12日(1869年)

没年
昭和35(1960)年8月18日

出生地
福岡県福岡市春吉六軒屋

学歴〔年〕
中学修猷館中退

経歴
中学修猷館4年のとき海外雄飛を志して中退、函館長崎船員となる。明治27年日清の開戦を画策した天祐俠事件で爆弾入手の疑いで警察に拘引され、以後アジア革命に身を投じる。29年若松市の的野半介宅で宮崎滔天と知り合い革命資金をつくるためシャムに渡る。シャム開拓は失敗。また、33年に滔天や来日した孫文らと東京麴町で共同生活をする。辛亥革命の際、日本人として初めて清国の革命軍と接触し日本の支援グループを先導、革命の要所にいた一人だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末永節」の解説

末永節 すえなが-みさお

1869-1960 明治-昭和時代前期の中国革命運動の協力者。
明治2年11月12日生まれ。末永純一郎の弟。明治34年内田良平の黒竜会結成に参加。中国革命同盟会を支援,宗教仁(そう-きょうじん)編集の機関誌民報」の発行人となった。辛亥(しんがい)革命では革命軍に参加した。昭和35年8月18日死去。90歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。号は狼嘯月(ろうしょうげつ),無庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android