民報(読み)ミンポウ(その他表記)Mín bào

デジタル大辞泉 「民報」の意味・読み・例文・類語

みん‐ぽう【民報】

民間で発行する新聞地名などを冠して新聞社名や紙名に使う。

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精選版 日本国語大辞典 「民報」の意味・読み・例文・類語

みん‐ぽう【民報】

  1. 〘 名詞 〙 民間の新聞。地名などを冠して新聞の名に用いられることが多い。
    1. [初出の実例]「旬報は官報なり、官報は民報の日々随聞随録するものと同一ならず」(出典:風俗画報‐八四号(1895)漢城迺残夢)

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改訂新版 世界大百科事典 「民報」の意味・わかりやすい解説

民報 (みんぽう)
Mín bào

中国,近代の革命団体である中国同盟会機関誌華興会宋教仁が主宰していた《二十世紀之支那》(1905年6月創刊,2号まで)を継承したもので,1905年11月に日本で創刊,編集所は東京市牛込区(現,新宿区)新小川町においた。当初月刊であったが,のち不定期刊となり,08年に24号を刊行したのち,日本政府の弾圧によって停刊となった。胡漢民張継陶成章章炳麟汪精衛等が編集長をつとめ,革命理論の宣伝にきわめて重要な役割を果たした。とくに,梁啓超らの《新民叢報》が,列強による分割を誘発するとして革命に反対したのに対して,革命によって分割に抗するとの理論を明らかにした。孫文の三民主義とくに民生主義の理論も,《民報》誌上の《新民叢報》との論戦で,深化され,宣伝された。中国最初のマルクス主義紹介の論文も掲載した。中国本土や台湾で復刻本があり,容易に読むことができる。
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民報 (みんぽう)

第2次大戦後,東京で最初に創刊された夕刊紙松本重治長島又男栗林農夫(たみお)(一石路)らによって1945年11月30日発刊,民主主義革命のための政治新聞としての性格をもち,その社説はむしろ海外で注目された。物資欠乏の下,当局による用紙割当ては5万部,のち6万5000部であった。経営不振のため47年8月1日付けから《東京民報》と改題,一般紙となり,48年11月30日付けをもって廃刊
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「民報」の意味・わかりやすい解説

民報(中国同盟会の機関誌)
みんぽう

中国、清(しん)末の中国同盟会の機関誌。1905年11月、日本の東京で創刊。月刊。毎号120~180ページ、発行部数は4~5万部。8年冬、日本政府の命令により停刊となり、10年初めにさらに2号分を秘密出版して終刊となった。全部で26号。別に『天討』などの臨時増刊がある。おもな執筆者は、胡漢民(こかんみん)、汪兆銘(おうちょうめい)、陳天華(ちんてんか)、朱執信(しゅしっしん)、宋教仁(そうきょうじん)、章炳麟(しょうへいりん)ら。孫文が有名な三民主義を初めて発表したのも、この創刊号においてであった。『民報』は民主共和の思想を宣伝する革命派の機関誌として大きな影響をもち、留学生、華僑(かきょう)に広く読まれただけでなく、中国内地にも盛んに密輸入された。また、康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう)らの改良派が発行する『新民叢報(そうほう)』と激烈な論戦を戦わすことによって革命の主導権を奪うことに成功した。

[倉橋正直]


民報(夕刊紙)
みんぽう

夕刊紙。日本敗戦直後の1945年(昭和20)11月30日(12月1日付け)、松本重治(しげはる)、長島又男、栗林農夫(くりばやしたみお)ら旧同盟通信社員が中心になって創刊した。民主主義革命をうたった小型(タブロイド半載)で特異な新聞だった。47年8月1日『東京民報』と改題、民主統一戦線を叫ぶ政治新聞から一般大衆新聞に切り替えたが、部数減もあって経営は苦しく、満3年目の48年11月30日号で廃刊した。

[春原昭彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「民報」の意味・わかりやすい解説

民報
みんぽう
Min pao

中国,清末の革命団体である中国革命同盟会の機関誌。月刊雑誌で,創刊号 (1905.11.) から 24号 (08.10.) まで東京で発行され,日本政府に発禁処分に付されたあと,25,26号 (10.2.) が秘密出版された。張継,章炳麟らが主筆をつとめて清朝打倒,共和国家樹立の革命論を鼓吹し,立憲君主制を主張する梁啓超ら『新民叢報』と論戦を行なった。日本留学生や海外華僑に愛読され,中国へも盛んに密輸されて革命思想の普及に大きな貢献をした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「民報」の解説

『民報』(みんぽう)

清末,中国同盟会の月刊の機関誌。1905年11月創刊から10年10月の26号まで継続。日本の東京で刊行され,留学生の間で最も読まれたが,中国へも盛んに密輸入され,革命思想の普及に効果をあげた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「民報」の解説

民報
みんぽう

1905年11月から10年10月まで発行された,中国同盟会の月刊機関誌
東京で発刊。章炳麟 (しようへいりん) を中心に胡漢民 (こかんみん) らが執筆。発刊の辞で孫文が三民主義を説く。革命派言論誌の最高峰として留学生・華僑に広く読まれた。

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世界大百科事典(旧版)内の民報の言及

【中国同盟会】より

…綱領は〈駆除韃虜,復中華,創立民国,平均地権〉(四綱)で,別の言い方では民族・民権・民生の三大主義である(のちに三民主義とよばれる)。機関誌は《民報》(1905年11月~10年2月),最初,孫文の弟子の汪兆銘,胡漢民,朱執信らが健筆をふるった。反満共和のするどい主張は,ながらく進歩的言論界を牛耳ってきた《新民叢報》に代表される改良主義の論調を圧倒した。…

【張継】より

…1900年早稲田大学に留学し,この間,下田歌子らと興亜会を組織したり,留学生会館の総幹事をつとめた。05年中国同盟会に加入し《民報》主編となり,08年パリで《新世紀》を発刊。辛亥革命で帰国し,13年参議院議長,第二革命後日本に亡命した。…

※「民報」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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