日本歴史地名大系 「本九々布村」の解説 本九々布村もとこうぶむら 福島県:南会津郡下郷町本九々布村[現在地名]下郷町中妻(なかづま)中妻村の南西、観音(かんのん)川が阿賀川に合流する地点東側の平地と河岸段丘上に立地。阿賀川対岸の弥五島(やごしま)村と橋坂(はしざか)橋によって結ばれ、南山松川(みなみやままつかわ)通が抜ける。集落の南の山上に館(九々布城)跡がある。中世には古々布(こうぶ)郷の中心地で、建武元年(一三三四)八月二八日の後醍醐天皇綸旨(皆川文書)に「長江庄南山内古々布郷」とみえ、古々布郷の地頭職を長沼秀行に安堵している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には「九々布」とみえ、高二千九九三石余、蒲生氏郷の直轄地。この九々布から元和(一六一五―二四)頃までにのちの水門(みつかど)・沢入(さわいり)・大窪(おおくぼ)・寺(てら)・小松川(こまつかわ)・張平(はりひら)・寺山(てらやま)・赤岡(あこうか)・松川(まつかわ)・原(はら)・木令(もくれい)・杉沢(すぎのさわ)・南倉沢(なぐらさわ)・塩生(しおのう)・檜原(ひのきはら)・赤岩(あかいわ)・桃曾根(ももそね)・落合(おちあい)・音金(おとがね)の一九ヵ村が分離・独立、寛永四年(一六二七)までに残された九々布村が本九々布と中妻の二ヵ村に分離した(「南山九々布郷中妻村当請定」玉川家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by