本原村(読み)もとばるむら

日本歴史地名大系 「本原村」の解説

本原村
もとばるむら

[現在地名]長崎市本原町もとはらまち上野町うえのまち小峰町こみねまち扇町おうぎまち石神町いしがみまち辻町つじまち大手おおて一―三丁目・三原町みはらまち三川町みかわまち川平町かわひらまち

中野なかの村の北にあり、浦上うらかみ川が流れる。地内の石神は神功皇后が新羅遠征に際して彼杵そのき平敷ひらしきで霊石を得たという所伝があるが(万葉集)、「長崎名勝図絵」では山里やまざと村の本原石神もとばるいしがみで採れる角ヶ崎燧石を皇后が安産のお守りにしたとする。大手に鳥山とやま(問山城)跡がある。江戸時代は幕府領長崎代官支配で、正保国絵図に本原村とあり、高一四四石余。元禄国絵図に村名がみえ、天保郷帳では浦上村一一ヵ村のうちで、幕末期の郷乙名は家野よの郷を兼帯した。三原一本木いつぽんぎは寛永年間(一六二四―四四)筑後柳川やながわ(現福岡県柳川市)より移住した三池立花家の若君がキリシタンの信仰を守るため身分を捨てて百姓になった地といわれ、若君は楠の大木一本で家を建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報