肥前国浦上村山里(長崎市)で起こった4回のキリシタン検挙事件。崩れとは検挙事件をいう。浦上では江戸幕府のキリスト教弾圧下に帳方・水方・聞役の指導系統を持つ潜伏組織をつくって,信仰を伝承してきたのが発覚したもの。(1)浦上一番崩れ 1790年(寛政2)村人が山王社仏体建立の喜捨を拒み,キリシタンとして訴えられて始まった。しかし証拠不十分で落着。(2)浦上二番崩れ 1842年(天保13)密告により多数の検挙者が出たが奉行所勤務益田土之助の計らいで釈放。(3)浦上三番崩れ 1856年(安政3)密告で帳方吉蔵以下多くの有力信徒が投獄され,拷問により牢死する。長崎奉行所は切支丹宗徒の語を避け,天草崩れに倣い〈異宗一件〉として裁決した。(4)浦上四番崩れ 1867年(慶応3)勃発。信徒がキリシタン信仰を表明して寺請制度を拒否,68名が逮捕されたのに始まる。2年前大浦天主堂で再渡来した神父と出会い,表面仏教という潜伏態度を捨てたのである。ために幕府は異宗とせずキリシタン邪宗として取り扱い,信仰弾圧を外国公使団が抗議して外交問題化した。幕府倒壊後,明治政府もキリシタン禁制を掲げ,御前会議で浦上一村総流罪を決定,名古屋以西20藩に3384人を配流した。これを〈浦上教徒事件〉ともいう。1871年(明治4)米欧に向かった岩倉全権大使らは各国で信仰弾圧の非を説かれ,73年ようやくキリシタン禁制の高札を撤去した。信徒も釈放され事件は落着した。
執筆者:片岡 千鶴子
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肥前国浦上村(現,長崎市)で,近世後期から幕末期にかけて発生した4回のキリシタン露顕事件。一番崩れは1790年(寛政2),二番崩れは1842年(天保13),三番崩れは56年(安政3)におきたが,証拠不十分であまり問題にならなかった。四番崩れは浦上教徒事件ともいう。58年締結の諸外国との通商条約により,幕府は居留地内の外国人の信仰の自由を承認。カトリックのパリ外国宣教会は大浦天主堂を完成し,居留地外の日本人に布教した。長崎奉行所は67年(慶応3)秘密教会を襲撃して信徒を逮捕したが,フランスとの関係を考慮して信徒を帰村させ,事件は一段落した。しかし明治維新後,新政府が浦上一村総流罪を決定し,70年(明治3)名古屋以西の20藩に3384人を配流したため,列強外交団の抗議をうけ,73年キリシタン禁制の高札を撤去し,信徒も釈放した。
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