本多康重(読み)ほんだ やすしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多康重」の解説

本多康重 ほんだ-やすしげ

1554-1611 織豊-江戸時代前期の武将,大名
天文(てんぶん)23年生まれ。本多広孝長男徳川家康につかえ,三河一向一揆(いっき)鎮定などの合戦に父とともにくわわる。家康の関東入国のとき上野(こうずけ)(群馬県)白井に2万石をあたえられた。関ケ原の戦いの際には秀忠に属し,その功で三河(愛知県)岡崎5万石にうつる。慶長16年3月22日死去。58歳。通称は彦次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の本多康重の言及

【岡崎藩】より

…徳川家康はこの地を本拠に独立し,のち天下統一に乗り出した。1590年(天正18)家康の関東移封後,豊臣秀吉によって田中吉政が岡崎に封ぜられたが,1601年(慶長6)関ヶ原の戦の功によって筑後久留米に移され,かわって家康の腹心の一人本多康重が5万石で入封した。康重は領内検地を実施,天守閣を築き,城下町の整備につとめるなど藩政の成立に努力した。…

※「本多康重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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