朝日日本歴史人物事典 「本多康重」の解説
本多康重
生年:天文23(1554)
戦国・江戸初期の武将。譜代大名。三河国碧海郡土井郷(愛知県岡崎市)に出生。通称は彦次郎,豊後守。本多彦三郎広孝と松平甚太郎義春の娘の嫡男。妻は石川日向守家成の娘。永禄5(1562)年元服の折徳川家康より諱の1字を与えられ康重と称す。初陣は永禄12年の掛川攻め。以来父と共に多くの戦功をあげた。天正5(1577)年三河の領地を襲封。小牧・長久手の戦では堀秀政の3000の兵とわたりあい7カ所の傷を蒙る。同18年上野国白井城主2万石を給される。関ケ原の戦では徳川秀忠に属し上田城を攻め,戦いのあと3万石を加増され,慶長6(1601)年2月三河国岡崎城5万石に転封。同16年岡崎で病死。先祖代々家康に忠節を唱え,信頼された。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報