本多政長(読み)ほんだ まさなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多政長」の解説

本多政長 ほんだ-まさなが

1633-1679 江戸時代前期の大名
寛永10年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主本多政朝(まさとも)の次男本多政勝(まさかつ)の養子となり,寛文11年大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主本多家(定通系政朝(まさとも)家)2代。政勝死去の際,相続争い(九六騒動)がおき,15万石のうち9万石(じつは持ち来たりの3万石もふくめ12万石)が政長に,6万石が政勝の実子の政利(まさとし)に分知された。延宝7年4月24日死去。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む