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松意 ショウイ

世界大百科事典 第2版の解説

しょうい【松意】

江戸前期の俳人。生没年不詳。姓は田代,通称は新左衛門,別号は檀(談)林軒,冬嶺堂。江戸の人。1673年(寛文13)神田鍛冶町の草庵に,雪柴(せつさい),一鉄,在色(ざいしき)らを同人とする〈誹諧談林〉の結社を開いた。それ以前の経歴はまったく知られていない。75年(延宝3)東下中の宗因から得た発句を巻頭とした《談林十百韵(とつぴやくいん)》によって一躍名をはせた。俳風は,付合(つけあい)連想の異常な飛躍を特色として〈飛躰(とびてい)〉と呼ばれたが,《夢助(ゆめすけ)》(1679),《功用群鑑》(1679?)等の俳論は常識的で平凡である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松意
しょうい

生没年不詳。江戸初期の俳人。田代氏。通称新左衛門。別号談林(だんりんけん)、冬嶺堂(とうれいどう)。西山宗因(そういん)門。江戸・神田鍛冶(かじ)町に住む。古風な貞門俳諧(はいかい)に不満をもち、当時大坂におこった宗因流の新風にあこがれて、1673年(延宝1)、在色(ざいしき)、雪柴(せっさい)、正友以下数名で俳諧談林と称する小結社をつくった。1675年、同志とともに『談林十百韻(とっぴゃくいん)』を発表すると、宗因流全盛の波にのって一躍有名になり、談林の名を全国にとどろかした。しかし高い教養や詩人的能力に欠けたので、1680~1681年(延宝8~天和1)ごろ宗因風が末期的混乱に陥ると自らも制作意欲を失い、突如として俳壇から消息を絶った。編著に『談林軒端(のきば)の独活(うど)』『夢助』『功用群鑑』などがある。[今 栄蔵]
『木村三四吾著「田代松意」(『俳句講座2』所収・1958・明治書院)』

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世界大百科事典内の松意の言及

【談林十百韵】より

…正しくは《江戸俳諧談林十百歆》。松意(しようい)編。1675年(延宝3)刊。…

※「松意」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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