本州製紙(読み)ほんしゅうせいし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本州製紙」の意味・わかりやすい解説

本州製紙
ほんしゅうせいし

製紙会社。 1949年過度経済力集中排除法により分割された旧王子製紙の製紙工場6,化学工場1を継承して第二会社として設立。 83年福岡製紙,東信製紙を合併板紙を中心に,洋紙類,パルプ副産物,製紙用薬品などの生産山林木材売買造林製材などの事業を行なっていた。 96年 10月,新王子製紙と合併し王子製紙となった。

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百科事典マイペディア 「本州製紙」の意味・わかりやすい解説

本州製紙[株]【ほんしゅうせいし】

1949年,集中排除法による王子製紙の分割で発足。板紙でトップとなる。本社東京,工場富士,釧路など。1996年新王子製紙と合併,王子製紙となった。

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世界大百科事典(旧版)内の本州製紙の言及

【王子製紙[株]】より

…このような王子製紙の発展を主導したのは藤原銀次郎(1920年社長,38年会長就任)で,彼は関連産業につぎつぎと手をのばし,王子は30余の会社を支配する一つの財閥を形成した。しかし,こうした独占も第2次大戦後の過度経済力集中排除法によって終止符が打たれ,49年苫小牧製紙(株),十条製紙(株),本州製紙(株)の3社に分割された。52年財閥商号使用禁止が解かれたのを機に苫小牧製紙は王子製紙工業(株)に,さらに60年王子製紙(株)に改称した。…

【紙・パルプ工業】より

… 第2次大戦後は,GHQが日本経済の民主化を打ち出して財閥解体と経済力集中排除政策を推進した。紙・パルプ工業においても,市場を独占した王子製紙が,過度経済力集中排除法によって49年8月に苫小牧製紙(のちの王子製紙),十条製紙(93年,日本製紙と改称),本州製紙(96年,王子製紙と合併)の3社に分割された。一方,日本の紙・パルプ工業は,主力工場の集中していた樺太をはじめ朝鮮,満州(中国東北区)にあったすべての在外資産を失った。…

※「本州製紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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