第2次世界大戦後,占領軍による経済民主化政策の一環として,1947年12月18日に公布施行され,55年7月25日に廃止された法律で,正確には過度経済力集中排除法という。初期占領政策では,特殊日本的な独占組織である財閥の解体と並行して,一般的な反独占政策が進められたが,将来における独占の復活を防止する目的で制定されたのが独占禁止法であるのに対して,既存の独占的大企業の分割を意図したのが本法である。当初,経済力集中排除法案として1947年10月9日に国会に提出されたが,日本の産業界ならびに占領政策の転換を背景としたアメリカ国内での批判が強く,国会審議は難航し,会期末日の12月9日,国会の時計を止め,原案の頭に〈過度〉の2字を加えてようやく成立した。実施機関とされた持株会社整理委員会は翌48年2月,鉱工業から257社,商業・サービス業から68社,合計325社を過度経済力集中の該当企業として指定したが,これは金融機関を除く大企業のほとんどを網羅したものであり,その払込資本金合計200億4500万円は,1947年末全国株式会社合計のそれの66%を占めていた。しかし48年3月,アメリカ政府はマッカーサーに政策転換を指示し,GHQは4月以降集排法による指定の解除に着手,それは5月に来日した集中排除審査委員会Deconcentration Review Board(団長ロイ・S. キャンベル,通称五人委員会)によって積極的に推進された。8月28日付同委員会の勧告に示された集中排除四原則により,最終的に指定されたのは,大建産業,大日本麦酒,日立製作所,三菱重工業,日本化薬,日本製鉄,王子製紙,井華鉱業,帝国石油,東洋製缶,東京芝浦電気,三菱鉱業,三井鉱山,帝国繊維,北海道酪農協同,松竹,東宝,日本通運の18社にとどまった。しかも,うち9社はすでに財閥系持株会社の指定を受けたものであり,措置の内容からいえば,4社は保有株式の処分,3社は一部工場の処分にとどまり,実際に企業分割が実行されたのは11社にすぎなかった。
→財閥解体
執筆者:柴垣 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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