本庄郷(読み)ほんじようごう

日本歴史地名大系 「本庄郷」の解説

本庄郷
ほんじようごう

本城ほんじよう町などに比定される。正和二年(一三一三)四月二五日の関東下知状(円福寺文書)に「三崎庄 号海上庄 本庄」とみえ、千葉氏一族海上胤方の子東盛胤の所領である当所の田六〇町がその子に譲られている。盛胤の子孫は代々当地に住し、本庄氏を称した。建武元年(一三三四)三崎みさき庄本庄郷飯沼いいぬま(円福寺)の別当職が孫犬丸に譲られている(六月「良胤譲状」同文書)。永禄九―一一年(一五六六―六八)頃千葉胤富は「本ちやう」より下流の舟の曳航を「かしろの弓衆」らに行わせるよう海上蔵人らに命じている(九月二三日「千葉胤富判物」原文書)


本庄郷
ほんじようごう

本城ほんじようを遺称地とし、同所を含む一帯に比定される中世の郷。紀州高野山金剛三昧こんごうざんまい院領粥田かいた庄の内で、同庄の中心地であったと考えられる。永仁元年(一二九三)一一月日の粥田庄預所用米目録案(金剛三昧院文書/鎌倉遺文二四、以下断りのない限り同文書)に「本庄」とみえ、当地には三町七段の預所給田があり、二三石八斗余が預所用米とされている。同四年一〇月日の粥田庄給田目録案(鎌二五)によると、「本庄」には預所三町七段のほか、鍛冶一段・土器三反など計一一町余の人給田があった。建武四年(一三三七)の粥田庄麦作目録(南一)では「本庄」に「馬場殿御所内」四町一段二〇歩があり、この年収穫ができた一町九段二代の畠地から三石八斗余の麦年貢が納められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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