本田秀男(読み)ホンダ ヒデオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「本田秀男」の解説

本田 秀男
ホンダ ヒデオ


職業
能楽師(金春流シテ方)

生年月日
明治32年 10月7日

出生地
熊本県 熊本市

経歴
明治38年桜田林太郎門下となり、39年「生田敦盛」の子方で初舞台。同年「嵐山」で初シテ。大正4年に上京桜間左陣、次いで桜間弓川に師事。12年 関東大震災で焼失した謡曲原版の復活刊行で節付改訂に当たり、昭和30年の謡本刊行では節付、拍子あたりなどの改訂を行なった。昭和29年金春宗家より皆伝免許を受け、30年秀麗会公演を始める。31年家元金春信高のもとで稀曲研究会をつくり、「砧」「大原御幸」「恋重荷」などを復曲、小書演出の復活に尽力した。32年日本能楽会(重要無形文化財として総合指定された者の団体)会員。38年復曲能「砧」を初演

所属団体
日本能楽会

没年月日
昭和41年 2月28日 (1966年)

家族
長男=本田 光洋(能楽師)

伝記
能楽三代 桜間 金太郎 著(発行元 白水社 ’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「本田秀男」の解説

本田 秀男
ホンダ ヒデオ

大正・昭和期の能楽師(金春流シテ方)



生年
明治32(1899)年10月7日

没年
昭和41(1966)年2月28日

出生地
熊本市

経歴
明治38年桜田林太郎門下となり、39年「生田敦盛」の子方で初舞台。同年「嵐山」で初シテ。大正4年に上京、桜間左陣、次いで桜間弓川に師事。12年 関東大震災で焼失した謡曲原版の復活刊行で節付改訂に当たり、昭和30年の謡本刊行では節付、拍子あたりなどの改訂を行なった。昭和29年金春宗家より皆伝免許を受け、30年秀麗会公演を始める。31年家元金春信高のもとで稀曲研究会をつくり、「砧」「大原御幸」「恋重荷」などを復曲、小書演出の復活に尽力した。32年日本能楽会(重要無形文化財として総合指定された者の団体)会員。38年復曲能「砧」を初演。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田秀男」の解説

本田秀男 ほんだ-ひでお

1899-1966 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治32年10月7日生まれ。金春(こんぱる)流。桜間(さくらま)林太郎に師事し,大正4年上京して桜間伴馬(ばんま)に入門。昭和36年稀曲研究会を設立し「砧(きぬた)」「恋重荷(こいのおもに)」などを復活上演した。32年より日本能楽会会員。昭和41年2月28日死去。66歳。熊本県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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