本田郷
ほんだごう
現川本町本田・白草台付近に比定され、荒川南岸に位置する。「吾妻鏡」文治五年(一一八九)七月一九日条にみえる畠山重忠の郎従本田次郎近常の名字の地とされる。元久二年(一二〇五)六月二二日、本田近常は畠山重忠とともに武蔵二俣河(現神奈川県横浜市旭区)で北条義時らの鎌倉幕府勢による待伏せを受け謀殺された(同書)。延文元年(一三五六)一二月三日の足利基氏寄進状(教念寺文書)によると、「男衾郡本田郷」および小泉郷(現大里村)の地頭職が畠山国清の申請によって教念寺に寄進されているが、その花押は足利満兼のものに酷似している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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