本間光輝(読み)ホンマ ミツテル

20世紀日本人名事典 「本間光輝」の解説

本間 光輝
ホンマ ミツテル

明治・大正期の大地主,豪商



生年
安政1年12月16日(1855年)

没年
大正11(1922)年4月30日

出生地
出羽酒田(山形県酒田市)

別名
幼名=恕一郎,序一郎,源吉

経歴
酒田の大地主本間光美の長男として生まれ、明治8年酒田本間家7代目当主となる。父が行なった農事改良と地方事業の振興への努力を継ぎ、自らも公共事業に尽力政府にも多額の献納金をおさめた。明治維新に際しては、70万両の巨資を献じて庄内藩主の磐城への移封を救った。初代酒田町長を務め、21年本立銀行、30年本間農場、40年信成合成会社(本間店)を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「本間光輝」の解説

本間 光輝
ホンマ ミツテル


別名
幼名=恕一郎 序一郎 源吉

生年月日
安政1年12月16日(1855年)

出生地
出羽国酒田(山形県酒田市)

経歴
酒田の大地主本間光美の長男として生まれ、明治8年酒田本間家7代目当主となる。父が行なった農事改良と地方事業の振興への努力を継ぎ、自らも公共事業に尽力、政府にも多額の献納金をおさめた。明治維新に際しては、70万両の巨資を献じて庄内藩主の磐城への移封を救った。初代酒田町長を務め、21年本立銀行、30年本間農場、40年信成合成会社(本間店)を設立した。

没年月日
大正11年4月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「本間光輝」の解説

本間光輝

没年:大正11.4.30(1922)
生年:安政1.12.16(1855.2.2)
明治大正期の大地主,豪商。酒田本間家が最高に発展した時期の当主。幼名恕一郎,序一郎,源吉。6代光美の長男。明治8(1875)年,酒田本間宗家7代目の家督を継ぐ。明治22年の町村合併時には本間宗家は酒田町の納税総額の3分の1を占めていた。初代町長を務め,商業経営の近代化を図り,明治21年に本立銀行,30年に本間農場,40年に商業・土地経営のために信成合資会社(本間店)を組織し,所有地は大正末期に1690ha余に達した。旧本間家別邸が本間美術館(酒田市)となっている。<参考文献>佐藤三郎『酒田の本間家』,『本間家所蔵資料集』1巻

(横山昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本間光輝」の解説

本間光輝 ほんま-みつてる

1855*-1922 明治-大正時代の大地主。
安政元年12月16日生まれ。出羽(でわ)酒田(山形県)の本間家7代。家業の商業,金融業,農業にしたがい,明治21年本立銀行,30年本間農場をつくる。初代酒田町長をつとめ,公共事業にもつくした。大正11年4月30日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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