日本大百科全書(ニッポニカ) 「朴定洙」の意味・わかりやすい解説
朴定洙
ぼくていしゅ / パクジョンス
(1932―2003)
韓国(大韓民国)の政治家。1932年2月9日慶尚北道(けいしょうほくどう/キョンサンプクド)の金泉(きんせん/キムチョン)に生まれる。延世大学中退。渡米してジョージタウン大学外交学科を卒業。アメリカン大学大学院で行政学博士号取得。1965年に総理大臣の特別補佐官、1968年に無任所長官補佐官を歴任した後、1973年から1976年まで韓国国民大学で教授を務める。その後政界入りし、1979年に国会議員初当選。以来1981年、1988年、1992年に与党議員として4回当選した。国際議員連盟をはじめ、議員外交分野でその経歴を生かし活躍した。1996年に選挙を控え当時野党であった新政治国民会議に鞍替(くらが)えし、全国区候補として当選した。国民会議は慶尚道出身の人材を入れて地域色を薄める必要もあったため、1998年2月金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)政権発足とともに外交通商部長官に任命される。しかし、同年7月在ロシア韓国大使員のスパイ容疑による国外退去に端を発した情報担当外交官の相互追放事件をめぐって、韓国とロシアとの関係が悪化したため責任を問われ、8月4日更迭された。2003年3月腸癌(がん)のため死去。夫人は維新政友会議員を務めた李範俊(りはんしゅん/イボムジュン)誠信女子大学教授。
[荒木和博]