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金大中 きんだいちゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金大中
きんだいちゅう

「キム・デジュン (金大中)」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

キム‐デジュン【金大中】

[1924~2009]韓国の第15代大統領全羅南道出身。野党政治家として朴正熙大統領と対立し、1973年東京で韓国情報機関に拉致される(金大中事件)。1980年には同氏の逮捕をきっかけに起きた民主化運動光州事件)で内乱陰謀罪などに問われ死刑判決。後に減刑されるも米国への亡命を余儀なくされ、帰国後は自宅軟禁生活を強いられた。1998年に4度目の挑戦で大統領に就任、経済再建などに取り組んだ。北朝鮮に対して融和的外交(太陽政策)を提唱。2000年北朝鮮を訪問し、金正日総書記と初の南北首脳会談を実現。ノーベル平和賞を受賞した。また、1998年に小渕恵三首相と日韓共同宣言を発表し、韓国での日本文化開放を推し進めた。2003年に任期満了で大統領を退任。2009年8月に多臓器不全で死去。きんだいちゅう。→ノムヒョン
[補説]戸籍に記載されている生年月日は1925年12月3日であるが、同氏は著書などで1924年1月26日が実際の生年月日であるとしている。

きん‐だいちゅう【金大中】

キム=デジュン

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百科事典マイペディアの解説

金大中【きんだいちゅう】

韓国の政治家。全羅南道生れ。建国大学中退,高麗大学などの大学院を修了。1960年の四月革命後に民議院議員に当選するが,翌年朴正煕らによる五・一六クーデタで議員資格を剥奪された。
→関連項目宇都宮徳馬小渕恵三内閣韓国民自党金槿泰金正日大韓民国朝鮮民主主義人民共和国潘基文ハンギョレ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金大中 きん-だいちゅう

キム-デジュン

金大中 キム-デジュン

1925-2009 韓国の政治家。
1924年1月6日生まれ。木浦(モクポ)日報社長をへて,1960年国会議員に当選。71年大統領選で朴正煕(パク-チョンヒ)に惜敗。73年東京のホテルから韓国に拉致(らち)される(金大中事件)。80年の光州事件で内乱陰謀の首謀者として死刑判決をうける。刑の執行停止後,アメリカ亡命をへて政界復帰。98年4度目の挑戦で大統領に就任。2000年平壌(ピョンヤン)を訪問し,朝鮮民主主義人民共和国の金正日(キム-ジョンイル)総書記と南北首脳会談をおこなった。同年韓国の民主化・朝鮮半島緊張緩和をすすめた業績によりノーベル平和賞を受賞。2009年8月18日死去。85歳。全羅南道出身。建国大中退。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金大中
きんだいちゅう / キムデジュン
(1925―2009)

韓国(大韓民国)の政治家。第15代大統領。12月3日全羅南道(ぜんらなんどう/チョルラナムド)務安に生まれる。1945年解放後、建国準備委員会の地方青年活動家となり、1950年木浦(もくほ/モクポ)日報社長となる。建国大学中退。1961年民議院議員となるが、同年軍事革命により失脚。1967年以降新民党幹部となって活躍し、1971年第7代大統領選挙に新民党候補として出馬し、民主共和党朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)候補と争い惜敗。1972年、来日時に韓国非常戒厳令にあい亡命し、アメリカ・日本で反朴運動を展開した。1973年(昭和48)8月日本で拉致(らち)されソウルに出現(金大中事件)。内外の反朴運動のシンボルとなった。1980年5月政府転覆を図ったとして逮捕、同年9月死刑判決を受けたが、救援の国際世論の高まるなかで、1981年1月死刑確定直後に無期懲役に減刑された。のち懲役20年に減刑、1982年12月釈放されて渡米、以後全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権・日本政府批判の言論を活発に展開した。1985年2月帰国し、3月政治活動を解禁され、1987年に公民権を回復した。1992年民主党候補として大統領選挙に出馬したが、金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)に敗れて政界引退を声明。イギリスに遊学し、アジア太平洋平和財団を結成する。1995年政界に復帰して新政治国民会議を結成。1997年大統領選挙に勝利を収め、1998年第15代大統領に就任した。1998年(平成10)10月、拉致事件(金大中事件)以後初めて訪日、小渕首相と会談、共同宣言「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名した。また北朝鮮に対しては、南北経済共同体の構想や、政府レベルでの対北経済支援を盛り込んだベルリン宣言を発表するなど、対北朝鮮包容政策(太陽政策)をとった。そして2000年6月13~15日、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を訪れ、朝鮮労働党総書記金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)と朝鮮半島分断後初の南北首脳会談を行い、南北統一への取り組みに合意、共同宣言に署名した。2003年2月大統領を任期満了につき退任。2000年ノーベル平和賞受賞。[玉城 素]

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世界大百科事典内の金大中の言及

【大韓民国】より

…維新憲法によって,新設の統一主体国民会議(大統領選出母体で,2359名から成る)による大統領選出(1972年12月23日),大統領任期は6年で重任制限なしというように,政権永続化を保障する制度的基礎は一段と整えられたが,これに対して維新体制撤廃を求める民主化運動が盛りあがりをみせていった。その指導者で野党の大統領候補であった金大中(1925‐ )が,政敵抹殺をねらった朴政権によって73年8月に東京で拉致されると,南北対話は中断され,日韓関係も以後緊張の度を加えていくことになる。維新体制に対する民衆の批判を高度経済成長の実現によってかわしながら長期政権を維持した朴正熙は,79年の第2次石油危機を契機とする不況と,それを背景とした労働運動の高揚,野党=新民党(総裁,金泳三)の急進化,釜山・馬山の民衆暴動等の一連の政治的危機の深まりのなかで,10月26日に腹心の部下である金載圭中央情報部長に射殺され,衝撃的な最期を遂げた。…

※「金大中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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