デジタル大辞泉 「金大中」の意味・読み・例文・類語
キム‐デジュン【金大中】
[補説]戸籍に記載されている生年月日は1925年12月3日であるが、同氏は著書などで1924年1月26日が実際の生年月日であるとしている。
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韓国(大韓民国)の政治家。第15代大統領。12月3日全羅南道(ぜんらなんどう/チョルラナムド)務安に生まれる。1945年解放後、建国準備委員会の地方青年活動家となり、1950年木浦(もくほ/モクポ)日報社長となる。建国大学中退。1961年民議院議員となるが、同年軍事革命により失脚。1967年以降新民党幹部となって活躍し、1971年第7代大統領選挙に新民党候補として出馬し、民主共和党朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)候補と争い惜敗。1972年、来日時に韓国非常戒厳令にあい亡命し、アメリカ・日本で反朴運動を展開した。1973年(昭和48)8月日本で拉致(らち)されソウルに出現(金大中事件)。内外の反朴運動のシンボルとなった。1980年5月政府転覆を図ったとして逮捕、同年9月死刑判決を受けたが、救援の国際世論の高まるなかで、1981年1月死刑確定直後に無期懲役に減刑された。のち懲役20年に減刑、1982年12月釈放されて渡米、以後全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権・日本政府批判の言論を活発に展開した。1985年2月帰国し、3月政治活動を解禁され、1987年に公民権を回復した。1992年民主党候補として大統領選挙に出馬したが、金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)に敗れて政界引退を声明。イギリスに遊学し、アジア太平洋平和財団を結成する。1995年政界に復帰して新政治国民会議を結成。1997年大統領選挙に勝利を収め、1998年第15代大統領に就任した。1998年(平成10)10月、拉致事件(金大中事件)以後初めて訪日、小渕首相と会談、共同宣言「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名した。また北朝鮮に対しては、南北経済共同体の構想や、政府レベルでの対北経済支援を盛り込んだベルリン宣言を発表するなど、対北朝鮮包容政策(太陽政策)をとった。そして2000年6月13~15日、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を訪れ、朝鮮労働党総書記金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)と朝鮮半島分断後初の南北首脳会談を行い、南北統一への取り組みに合意、共同宣言に署名した。2003年2月大統領を任期満了につき退任。2000年ノーベル平和賞受賞。
[玉城 素]
1925~2009
韓国の政治家,大統領(在任1998~2003)。全羅南道新安出身。1960年の学生革命後,国会議員に初当選。71年4月の大統領選挙に野党候補として出馬し,朴正熙(パク・チョンヒ)を相手に善戦した。72年の十月維新以後,アメリカで活動したが,73年8月に東京からソウルに拉致(らち)される。76年3月には民主救国宣言を発表し,禁固8年を宣告された。80年に復権したが,5月の戒厳令の全土拡大とともに逮捕され,光州事件関連の内乱陰謀罪で死刑を宣告された。やがて減刑され,渡米した。87年7月に再度復権され,12月の大統領選挙に出馬したが,盧泰愚(ノ・テウ)に敗北した。92年の大統領選でも金泳三(キム・ヨンサム)に敗れた。しかし,97年の大統領選挙では,金鍾泌(キム・ジョンピル)と連合して勝利した。大統領就任以来,北朝鮮に対する太陽(包容)政策を推進し,2000年6月には平壌(ピョンヤン)を訪問して,金正日(キム・ジョンイル)国防委員長との南北首脳会談を実現した。また,98年の訪日以後,日本大衆文化の段階的開放に着手し,日韓関係の改善に貢献した。ノーベル平和賞受賞(2000年)。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…維新憲法によって,新設の統一主体国民会議(大統領選出母体で,2359名から成る)による大統領選出(1972年12月23日),大統領任期は6年で重任制限なしというように,政権永続化を保障する制度的基礎は一段と整えられたが,これに対して維新体制撤廃を求める民主化運動が盛りあがりをみせていった。その指導者で野党の大統領候補であった金大中(1925‐ )が,政敵抹殺をねらった朴政権によって73年8月に東京で拉致されると,南北対話は中断され,日韓関係も以後緊張の度を加えていくことになる。維新体制に対する民衆の批判を高度経済成長の実現によってかわしながら長期政権を維持した朴正熙は,79年の第2次石油危機を契機とする不況と,それを背景とした労働運動の高揚,野党=新民党(総裁,金泳三)の急進化,釜山・馬山の民衆暴動等の一連の政治的危機の深まりのなかで,10月26日に腹心の部下である金載圭中央情報部長に射殺され,衝撃的な最期を遂げた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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