朴贊浩(読み)ぼくさんこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朴贊浩」の意味・わかりやすい解説

朴贊浩
ぼくさんこう / パクチャンホ
(1973― )

韓国(大韓民国)のプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のロサンゼルス・ドジャーステキサス・レンジャーズサンディエゴ・パドレス投手としてプレー。時速150キロメートルを超えるストレート、大きなカーブを武器とする本格派右腕で、初の韓国出身大リーガーである。

 6月30日、韓国の公州(こうしゅう/コンジュ)で生まれる。学生時代から国際大会で活躍し、1994年に漢陽大学からドラフト外でドジャース入団、1年目から開幕メジャー入りを果たして2試合に登板するが、以降はマイナー・リーグのAA級で過ごした。1995年、AAA級で開幕を迎えてシーズン終盤に大リーグに昇格翌年から定着し、おもに中継ぎとして起用された。1997年には先発入りを果たし14勝をあげ、以降、2001年まで5年連続して13勝以上をあげ、2000年と2001年は年間200奪三振も突破した。なお、2001年10月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でバリー・ボンズにシーズン最多ホームラン記録を更新する71号、72号のホームランを打たれた。そのシーズンオフ、FA(フリー・エージェント)となってレンジャーズへ移籍、2002年は腰を痛めたこともあり9勝、防御率5.75と不調に終わった。2003年、04年も腰痛が原因であわせて23試合に登板するにとどまり、2年間で5勝10敗の不振に終わった。2005年はシーズン途中でパドレスに交換トレードで移籍したが、4年ぶりに2桁(けた)勝利をあげて復活した。2006年は韓国代表の一員としてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場、抑え役として活躍。しかしシーズンに入ると故障がちになり、7勝7敗に終わる。シーズン終了後FA(フリーエージェント)となり、ニューヨーク・メッツへ移籍した。

[出村義和]

2007年以降

メッツへ移籍はしたものの、春先から調子が上がらず、開幕はマイナー・リーグで迎えることとなった。シーズン途中にメッツに昇格したが結果を出せず、1試合に先発登板しただけでマイナー降格となった。2008年からは古巣ドジャースでプレー。

 2007年までの通算成績は、登板試合324、投球回1750と3分の2、113勝88敗、防御率4.40、奪三振1511、完投10、完封3。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android