日本歴史地名大系 「杉原庄」の解説 杉原庄すぎはらのしよう 兵庫県:多可郡加美町杉原庄杉原川上流域、現加美町の北部・中部一帯に比定される。「和名抄」の多可郡賀美(かみ)郷内に成立した。椙原(すぎはら)庄ともみえる。「殿暦」の永久四年(一一一六)七月一一日条によると、藤原忠実が先祖法要の引出物として「椙原庄紙」一〇〇帖ずつを息女と息男に贈っており、この時までに杉原庄は成立しており、椙原紙の産地となっていた。平安末期の「執政所抄」によれば、杉原庄は御座(表敷)公事として薦三〇枚を摂関家に出している。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)には、京極殿領内として播磨国椙原庄がみえる。近衛家が本所であり、京極殿領は藤原師実の時代(一一世紀初め)に成立したとの由緒を示すもので、資平(宮内卿源資平か)が知行権を有していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by