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殿暦 でんりゃく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

殿暦
でんりゃく

『殿記』『知足院殿記』『知足院関白記』ともいう。平安時代後期の貴族政治家藤原忠実の日記。原本はおそらく具注暦 (ぐちゅうれき) に書込まれていたものらしいが現存しない。文永4 (1267) 年に近衛基平が家司らと写した古写本 22冊があり,承徳2 (1098) ~元永1 (1118) 年間の記事が伝わっている。

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百科事典マイペディアの解説

殿暦【でんりゃく】

太政(だいじょう)大臣藤原忠実(ただざね)の日記。《知足院(ちそくいん)関白記》《殿記(でんき)》などともいう。保元(ほうげん)の乱で次男頼長(よりなが)が朝廷に謀反(むほん)を起こしたため,忠実は現在の京都市北区の船岡山付近にあったと推定される知足院に籠居(ろうきょ)した。

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世界大百科事典 第2版の解説

でんりゃく【殿暦】

太政大臣藤原忠実の日記。《知足院関白記》《知足院殿記》《殿記》などとも称する。保元の乱に際して次男頼長が朝廷に反したため,忠実も知足院に籠居し,ここから〈知足院関白〉の称がおこった。記事は1098年(承徳2)より1118年(元永1)までを存し,朝廷における政務儀式などを詳細に書きとめている。鎌倉時代中期に近衛基平が家臣とともに書写した古写本22冊が陽明文庫に伝えられている。《大日本古記録》所収。【吉岡 真之】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

殿暦
でんりゃく

関白太政(だいじょう)大臣藤原忠実(ただざね)(1078―1162)の日記。『知足院(ちそくいん)関白記』『知足院殿(どの)記』『殿記』とも称される。晩年保元(ほうげん)の乱(1156)に座して山城愛宕(やましろおたぎ)郡舟岡(京都市北区紫野の西)の知足院に幽閉され、6年後同院において死したのでこの名がある。自筆原本は現存せず、1267年(文永4)ごろ近衛(このえ)家5代目の当主基平(もとひら)(1246―68)が家司(けいし)などに命じて書写させた古写本22冊が京都陽明(ようめい)文庫に存する。所収年代は1098年(承徳2)より1118年(元永1)までの21年間にわたる。記主の履歴でいえば、権大納言(ごんだいなごん)当時に始まり、関白・摂政(せっしょう)・太政大臣を経て関白に再任された時期、いわば得意の時代の大部分を占めるもので、朝廷における諸節会(せちえ)その他政事に詳細である。『大日本古記録』所収。[橋本政宣]

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