李承薫(読み)りしょうくん(その他表記)(R)I Sǔng-hun

改訂新版 世界大百科事典 「李承薫」の意味・わかりやすい解説

李承薫 (りしょうくん)
(R)I Sǔng-hun
生没年:1756-1801

朝鮮で最初に洗礼を受けたキリスト教徒。号は蔓川,教名はペテロ。平昌の人。家系は南人(党争)に属し,1780年に進士に合格した。84年,父の東郁(書状官)とともに燕行使随員として北京に赴き,同年2月に北京の南天主堂でグベーア司教から洗礼を受けた。帰国後はキリスト教布教に努めたが,91年の珍山事件で捕らわれ,背教を偽装した。95年に中国人神父の周文謨(しゆうぶんも)が朝鮮に潜入すると活動を再開したが再び捕らえられ,礼山県に流配された。そして1801年に丁若鍾らとともに斬首の刑に処せられた(辛酉(しんゆう)教獄)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李承薫」の意味・わかりやすい解説

李承薫
りしょうくん
Yi Sǔng-hun

[生]英祖32(1756).江原道,平昌
[没]純祖1(1801)
朝鮮最初のキリスト教信者。北京への朝鮮国王の使節一行の一人であった父李東郁に伴われて北京へ行き,そこで北京司教フランシスコ会士ゴベアからペテロの名で受洗,キリスト教を朝鮮へ伝えた。不完全な知識から自分たちで教階制 (ヒエラルキア) を創設し,承薫も司祭の一人として典礼を行なったが,のち北京からの知らせで誤りとわかり中止した。さらに北京司教が祖先崇敬を拒否したので教会を離れた。彼のもたらしたキリスト教は彼の受洗後 10年で迫害にあったが,4000名の信徒を得たという (→朝鮮のキリスト教 ) 。

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