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李順 りじゅんLi Shun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李順
りじゅん
Li Shun

[生]?
[没]太平真君3(442).平城
中国,北魏の政治家。趙郡平棘 (河北省寧晋県) の人。字は徳正。経史に通じ,才略に富み,中書博士となり,太武帝の柔然,赫連昌の征討に際しては献策の功があり,のち散騎常侍,高平公となった。沮渠蒙遜 (そきょもうそん) の帰属に関連して賄賂を受け不正を働き,暴露して殺された。

李順
りじゅん
Li Shun

中国,宋代に四川に起きた均産一揆の指導者。四川に拠った後蜀の孟氏の降伏後,宋は絹織物,茶などで栄えた蜀の経済力を,「孟氏の蓄積ことごとく内府に帰す」といわれたほど中央財政の確立に利用した。この中央の収奪に苦しんだ四川の茶商王小波らは淳化4 (993) 年,「均貧富」を旗印に乱を起した。王小波が病没すると,その妻の弟李順がこの均産一揆を指導し,翌年1月成都を占領して大蜀王と称したが,5月官軍に攻められ,行方不明となった。このため一揆は至道1 (995) 年鎮定された。

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世界大百科事典内の李順の言及

【均産一揆】より

…965年(乾徳3)後蜀を滅ぼした宋朝は,四川の豊かな経済力を吸収すべく,この地方に種々の収奪を行った。絹織物や茶など特産物の売買を統制したが,993年(淳化4)茶商の王小波(?‐994)が〈均貧富〉と号して蜂起し,李順が後継者となって成都に進出して四川全域を影響下に置いた。やがて優勢な宋朝軍の前に995年(至道1),時の指導者張余が殺されて,反乱は終息した。…

※「李順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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