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柔然 じゅうぜんRou-ran; Jou-jan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柔然
じゅうぜん
Rou-ran; Jou-jan

5世紀初頭から6世紀なかばにかけて,モンゴル高原を支配した遊牧民族およびその国家の名。蠕蠕 (ぜんぜん) ,芮芮 (ぜいぜい) などとも写される。5世紀の初め,内外モンゴル高原を中心に興安嶺からタリム盆地にいたる地域を勢力下におき,北魏と対立した。しかし 485~486年に支配下の高車が反乱を起して西走し,アルタイ山脈の南西麓に独立国を建てたため次第に衰え,6世紀中頃突厥に滅ぼされた。西方のアバールと同じものだといわれるが,確実ではない。

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デジタル大辞泉の解説

じゅうぜん〔ジウゼン〕【柔然】

4~6世紀、モンゴル高原に栄えたモンゴル系遊牧民族。また、その国家。族長社崘(しゃろん)が君主の称号である可汗を名のった5世紀前半が最盛期で、北魏と対立。555年、突厥(とっけつ)に滅ぼされた。蠕蠕(ぜんぜん)。芮芮(ぜいぜい)。茹茹(じょじょ)。

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百科事典マイペディアの解説

柔然【じゅうぜん】

5―6世紀に,モンゴリアで活躍した遊牧民族とその国家で,モンゴル系といわれる。蠕蠕(ぜんぜん)・茹茹(じょじょ)とも書かれる。中核部族は初め鮮卑拓跋氏に属したが,4世紀に柔然として自立,その君長は可汗(かがん)(ハーン)と称して,拓跋氏の建てた北)と対立。
→関連項目烏孫

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世界大百科事典 第2版の解説

じゅうぜん【柔然 Róu rán】

5~6世紀にモンゴル高原を支配した遊牧国家。蠕蠕(ぜんぜん),茹茹(じよじよ),芮芮(ぜいぜい)とも書き,モンゴル系といわれる。中核部族たる郁久閭(いくきゆうりよ)部は初め鮮卑拓跋部に属したが,4世紀その支配を脱して柔然の号を立て,拓跋部の華北建国とともに,かわって内モンゴルを制圧した。402年社崙(しやろん)(?‐410)は北アジアのほぼ全域を握って〈丘豆伐可汗〉と称し,以後東西交易路をおさえて北魏を圧迫したが,552年突厥に敗れ四散し,554年完全に潰えた。

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大辞林 第三版の解説

じゅうぜん【柔然】

五~六世紀にモンゴル高原に拠ったモンゴル系遊牧民族およびその国家。タリム盆地をも支配下に入れ北魏と対立したが、六世紀中頃突厥とつけつに滅ぼされた。蠕蠕ぜんぜん。茹茹じよじよ。芮芮ぜいぜい

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柔然
じゅうぜん

5~6世紀にモンゴル高原で活躍した遊牧民族およびその国家。モンゴル系と考える説が有力。蠕蠕(ぜんぜん)、茹茹(じょじょ)(ぜいぜい)などとも写されるが、原語は不明。5世紀初頭に、一族長がモンゴル高原の高車(こうしゃ)、匈奴(きょうど)の遺民などを征服して建国し、ハガン(可汗)という君主号を初めて採用して、十進法に基づく軍事・行政組織を整えた。そののち、タリム盆地をも勢力下に置き、北魏(ほくぎ)と対立してその北辺に侵入する一方、青海方面の吐谷渾(とよくこん)を経て南朝諸国に通じた。しかし、支配下の高車が、反乱を起こし485~486年に西走してジュンガル盆地に独立国を建てたため、柔然は衰え、6世紀の中ごろ、高車の後裔(こうえい)である鉄勒(てつろく)の一部族、突厥(とっけつ)に滅ぼされた。西方史料に現れるアバールと同じものといわれるが、確実ではない。[護 雅夫]

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世界大百科事典内の柔然の言及

【アバール】より

…モンゴル系の遊牧騎馬民族で,人種的にはフン族と近縁関係にある。中国の史料に現れる柔然と同一民族であるとの説もあるが,確実でない。確実なのは東部中央アジア(東トルキスタン)にいたとき,エフタル人などとともに一時柔然の支配下にあったことで,北魏の太武帝が柔然を打ち破った(426)のち,その支配から独立したものと思われる。…

【内モンゴル自治区】より

…その後,匈奴は南北に分裂,そのうち南匈奴は漢に服属し,やがて中国北部へ農耕民として入っていった。彼らのあと,この地には東胡の子孫である鮮卑が入るが,彼らは中国に北魏王朝を樹立,こんどはトルコ系の柔然がこの地一帯を支配した。しかし,6世紀中ごろアルタイ地方から勢力をのばしてきた突厥(とつくつ)がこれを滅ぼし,隋・唐をおびやかすに至った。…

【モンゴリア】より

…なかでも拓跋氏(たくばつし)はその本拠地を内モンゴルからしだいに長城内にうつし,のちに北魏を建て,中国北部を支配した。4世紀後半南下した鮮卑のあとをうけてモンゴリアを支配したのは柔然(じゆうぜん)である。柔然はさらにジュンガリアからタリム盆地にまで勢力を広げた。…

※「柔然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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