後蜀(読み)コウショク

精選版 日本国語大辞典 「後蜀」の意味・読み・例文・類語

こう‐しょく【後蜀】

  1. 中国、五代十国の一つ。九三四年、孟知祥(もうちしょう)が後唐から独立して四川に建てた国。都は成都。九六五年二代で宋に滅ぼされた。ごしょく。蜀。

ご‐しょく【後蜀】

  1. こうしょく(後蜀)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後蜀」の意味・わかりやすい解説

後蜀
こうしょく
Hou-shu

中国,五胡十六国の一つ (302~347) 。成漢ともいう。チベット系の 氐族の李特 (景帝) が建てた国。李氏の先祖が巴西 (四川) に住んでいたので,巴 氐,巴蛮と呼ばれた。始祖李特は太安1 (302) 年成都を陥れて西晋 (→) から自立したが,翌年西晋の軍と戦って敗北。その子李雄 (太宗武帝) は再び成都によって国号を成と称した (304) 。その治世 30年間は善政をもって知られたが,その死後やがて一族の李寿 (昭文帝) に取って代られ,国号を漢と改めた (338) 。しかし国政は乱れて人心を失い,東晋の将軍桓温に討たれて滅んだ (347) 。

後蜀
こうしょく
Hou-shu

中国,五代十国の一つ (935~965) 。 邢州 (河北) の人,孟知祥の建てた国。後唐の荘宗前蜀を滅ぼしたとき,孟知祥は成都尹 (知事) に任命されたが,荘宗が殺されて明宗が擁立されると,独立の機会をうかがい,長興1 (930) 年反旗を翻して蜀の全土を領有し,同4年には蜀王に封じられ,翌年自立して皇帝 (高祖) と称した。その死後,3男の孟昶 (もうしょう。後主) が位を継いだが,乾徳3 (965) 年宋の太祖に滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「後蜀」の解説

後蜀
こうしょく

五胡十六国の一国 306〜347
②五代十国の一国 934〜965
成の別称。➡
後唐 (こうとう) の荘宗が前蜀を征服して,その地の節度使に任じた孟知祥が,のち独立。

後蜀
ごしょく

こうしょく

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改訂新版 世界大百科事典 「後蜀」の意味・わかりやすい解説

後蜀 (こうしょく)
Hòu Shǔ

(五代十国)


後蜀 (こうしょく)
Hòu Shǔ

(五胡)

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世界大百科事典(旧版)内の後蜀の言及

【成】より

…306‐347年。成漢,後蜀ともいう。西晋時代,飢餓に苦しむ関中方面の(てい)族は故郷の漢水地方に流れこんだが,これを指導する李特は,西晋の内乱に乗じて四川地方を占拠した。…

※「後蜀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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