村上俊吉(読み)ムラカミ シュンキチ

20世紀日本人名事典 「村上俊吉」の解説

村上 俊吉
ムラカミ シュンキチ

明治期の牧師 日本基督伝道会社嘱託。



生年
弘化4年7月10日(1847年)

没年
大正5(1916)年5月6日

出生地
江戸

経歴
相模国小田原藩医の子として生まれ、15歳の時に摂津国三田藩医村上恒庵の養子となる。三田藩主九鬼隆義の命により福沢諭吉のもとで従学。のち学を了えて三田に戻り、藩の有志が設立した神戸の商社に勤務。ここで神戸在住の宣教師らと交わり、明治7年摂津第一公会でJ・D・デービスより洗礼を受けた。8年ギューリックが日本初のキリスト教週刊誌「七一雑報」を創刊したのに協力し、その編集人に就任。9年兵庫聖書講義所(兵庫教会)の設立に伴って伝道師となり、次いで按手礼を受けて日本組合基督教会の二人目の牧師となる。15年群馬県安中に移って伝道に従事するが、間もなく神戸に戻り「七一雑報」編集人に復帰した。16年同誌が「福音新報」に改題された後も引き続いて編集を担当。17年再び兵庫教会牧師となるとともに、多聞教会牧師も兼任。24年神戸教会を辞職後、日本基督伝道会社嘱託やアメリカン・ボードの巡回教師として伝道を続け、40年には神戸市須磨に須磨教会を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上俊吉」の解説

村上俊吉 むらかみ-しゅんきち

1847-1916 明治-大正時代の牧師。
弘化(こうか)4年7月10日生まれ。摂津三田(さんだ)藩(兵庫県)の藩医村上恒庵の養子。デービスから受洗,明治8年ギューリックに協力してキリスト教週刊新聞「七一(しちいち)雑報」の編集長となる。日本組合基督(キリスト)教会の兵庫教会,須磨(すま)教会などの牧師をつとめた。大正5年5月6日死去。70歳。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android