村所谷村(読み)むらしよだにむら

日本歴史地名大系 「村所谷村」の解説

村所谷村
むらしよだにむら

[現在地名]西米良村所むらしよ

津留谷つるだに村の西、一ッ瀬川上流域の谷間に位置し、村の中央を一ッ瀬川が貫流する。当村のほか戸渡呂瀬谷とどろがせだに田無瀬谷たむぜだに・津留谷・納瀬谷のうぜだにの各村を合せて村所村ともいった。国絵図や郷村帳類には村名はみえない。旧高旧領取調帳では前掲各村を合せた村所村がみえ、高七三石余。明治四年(一八七一)これら諸村と合併して村所村となる(郡行政)。「日向地誌」では村所村として戸数九一・人数五〇四、牛四三、猪・鹿・香魚・茶・蒟蒻芋楮皮材木椎茸などが特産物であった。江戸時代に米良山を知行した米良氏の本宗家は戦国時代には「嶽の米良」とよばれて一帯に勢力を振るっていた(「日向記」など)。この嶽の米良氏の本拠地は当地と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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