20世紀日本人名事典 「村瀬玉田」の解説
村瀬 玉田
ムラセ ギョクデン
江戸時代末期〜大正期の日本画家
- 生年
- 嘉永5年4月8日(1852年)
- 没年
- 大正6(1917)年10月12日
- 出生地
- 京都・上京頭町
- 本名
- 村瀬 徳温
- 旧姓(旧名)
- 榎
- 別名
- 通称=清次郎,別号=彩雲亭
- 経歴
- 13歳で四条派の村瀬双石に入門し、のちその養子となる。また漢学を宮原龍、和歌を渡忠秋に学ぶ。25歳頃、近江、美濃、尾張、武蔵、丹波など各地を巡遊した。明治13年京都府画学校出仕となり、翌14年内国勧業博で妙技3等賞を受賞。15年第1回内国絵画共進会で銅印、17年同第2回で銅章を受章。この他京都博覧会、東洋絵画共進会などで受賞を重ね、33年パリ万博、37年セントルイス万博、43年日英博覧会など海外の博覧会にも出品。御用画も度々つとめた。四条派の流れを継ぐ実力者で写実的描写の山水花鳥を得意とした。代表作に「雉子図」「柳鷺」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報