20世紀日本人名事典 「村田孜郎」の解説 村田 孜郎ムラタ シロウ 昭和期のジャーナリスト 没年昭和20(1945)年 出生地佐賀県 学歴〔年〕東亜同文書院卒 経歴佐賀藩主一門・村田家に生まれ、青年時に遊びが過ぎて勘当を受ける。のち大阪毎日新聞に入社し上海支局長、東京日日新聞の東亜課長、読売新聞の東亜部長などを歴任。昭和20年戦後の上海で客死した。中国語に堪能で、中国を紹介した著書も多い。著書に「支那の左翼戦線」(昭5年)、「蒙古と新疆」(昭10年)、「支那女人譚」、「宋美齢」(昭14年)、共訳に「支那は生存し得るか」(昭12年)などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田孜郎」の解説 村田孜郎 むらた-しろう ?-1945 昭和時代前期の新聞記者。大阪毎日新聞の上海支局長,東京日日新聞の東亜課長,読売新聞の東亜部長を歴任した。昭和20年上海で死去。佐賀県出身。東亜同文書院卒。著作に「宋美齢」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by