朝日日本歴史人物事典 「村田春郷」の解説
村田春郷
生年:元文4(1739)
江戸中期の歌人。村田春道の子。初名は忠何。通称は長蔵,字は君観,号は顕義堂。家督を弟の村田春海に譲る。春海と共に賀茂真淵門で県門十二家に数えられる。古書を読み古風の歌をよくし,ことに長歌に優れていた。また蹴鞠がうまく余人の追随を許さなかったという。著書に『春郷家集』(1811年序跋,清水浜臣編),『長歌集』がある。春郷の歌は単なる古歌の模倣ではなく,独自のものとして消化しており,真淵の上代主義を実作において見事に実践したと評価されている。真淵は若くして逝った秀才を惜しんでみずから墓碑の文を書いた。<参考文献>泉貴美子「村田春郷」(『文学遺跡巡礼/国学篇三』)
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報