杣田村
そまだむら
[現在地名]和束町大字杣田
和束川の左岸、南村の南方に位置し、支流杣田川沿いを占める。大和道で南村および南方撰原村と結ばれ、大和道から分れた木屋峠越の道で木津川右岸の木屋村に通ずる。村名は「万葉集」に詠まれる和束杣山に由来すると思われ、村の字地名に杣ノ尾・杣ノ根・杣ノ岩・杣垣内・杣ノ谷・杣台・杣ノ奥などがある。
江戸時代には和束郷の一村で、高三八四・三六五石、禁裏新御料(享保一四年山城国高八郡村名帳)。明治一〇年代の調べでは、田二六町余、畑一一町余、ただし地味は「土質最モ悪シ大抵丹赭色ニシテ肥沃ナラサルモ、西部ハ稍稲梁ニ可ナリ、然トモ水利不便ニシテ時々旱ニ苦ミ唯茶ニ適ス」というものであった(京都府地誌)。
杣田村
そまだむら
[現在地名]今治市杣田
現今治市北部に位置する。近見山の北山麓、山ふところに集落がある。東は高部村、西北は樋口村(現越智郡波方町)、南は山を隔てて延喜村に接する。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の野間郡の項に「杣田村」とみえ、村高は三〇〇石三斗九升三合である。「野間郡手鑑」によると、享保末年から元文(一七一六―四一)頃の家数は八七軒、人数三六一人、牛馬数五六疋であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 