来間村(読み)ふふやまむら

日本歴史地名大系 「来間村」の解説

来間村
ふふやまむら

[現在地名]下地町来間くりま

与那覇ゆなぱ村の南の前浜から約一・三キロ隔てた海洋にある島。一島をもって一村とする。史料上は来間島ともみえる。方音ではフフャマ。宮古の争乱時代、川満かーんつ村の男くちやけ、女てたまつの兄妹戦乱を逃れるうちはぐれてしまったが、偶然にも泳ぎ渡った無人の島来間で再会、ほかに人も住んでいないところから夫婦となって子孫繁盛、来間村の基礎を築いたという(宮古島記事)。古くは八重山や大和から、のちには伊良部いらう(現伊良部町)保良ぶら(現城辺町)方面からも多数の移住があり、来間ふふやま千人原しんにんばらと称されるほどになって、下地すむず城辺ぐすくなぎ(現城辺町)に強制移住させられたこともあるという(下地町誌)。「李朝実録」世祖八年(一四六三)二月辛巳条にみえる「屈伊麻島」は当地に比定され、宮古島と近隣の当島を含む五島人民は互いに往来し、飲酒をともにするという。「中山伝信録」では南七島として太平山たいへいざん(宮古島)伊良保いらう(伊良部島)などとともに「姑李麻」とみえる。「中山世譜」では三十六島のうちに姑李麻(俗叫来間)とある。

両島絵図帳に宮古島との間は一二町で「くれま嶋東崎より下地間切之内赤崎之おかみ崎迄干瀬拾七町続」とあり、「くれま村」は高六六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報