杭瀬村(読み)くいせむら

日本歴史地名大系 「杭瀬村」の解説

杭瀬村
くいせむら

[現在地名]尼崎杭瀬北新町くいせきたしんまち一―四丁目・杭瀬本町くいせほんまち一―三丁目・杭瀬寺島くいせてらじま一―二丁目・杭瀬南新町くいせみなみしんまち一―四丁目・常光寺じようこうじ二丁目・かじしま東大物町ひがしだいもつちよう一丁目・大物町だいもつちよう一丁目・長洲東通ながすひがしどおり三丁目

金楽寺きんらくじ村の南東に位置し、南は左門殿さもんど川を隔てて西成にしなりつくだ(現大阪市西淀川区)杭瀬庄の遺称地。当地には早くから湊があり、正元二年(一二六〇)四月六日の摂津守中原師藤解(「妙槐記」文応元年四月一三日条)では神崎かんざき浜崎はまざきなどとともに杭瀬が摂津国内の要津に数えられている。これらの津では住人が権門勢家の威を募り、摂津国衙が賦課する在家役を遁避している。文安二年(一四四五)の兵庫北関入船納帳には杭瀬を船籍地とする船舶の活動が四〇件以上記録されており、そのなかには京都南禅寺領や六条八幡宮(当時は現京都市下京区)領庄園の年貢輸送に従事している船舶もあった。


杭瀬村
くいのせむら

[現在地名]和歌山市杭ノ瀬

名草なくさ郡に属し、和田わだ川の北、手平てびら村の東南にある。慶長検地高目録によれば高六四九石余、小物成五〇石二斗六升一合。「続風土記」では家数三六、人数一三八。雑賀組に属した。「乱妨記」によると、文政六年(一八二三)の夏は日照り続きで水不足となり、当村など宮井用水井末の村々の者が多人数鳴神なるかみ村夫頭市右衛門・岩橋いわせ村夫頭清吉の家を打ちこわすという事件が起こっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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