東コート(読み)あずまコート

改訂新版 世界大百科事典 「東コート」の意味・わかりやすい解説

東コート (あずまコート)

1886年,東京日本橋の白木屋呉服店が売り出した女性の和装用防寒,防雨コート。足首までの長さで,へちま衿,道行衿,被布衿などがある。表地には毛織物を用い,甲斐絹の総裏を付け,ミシン仕立ての既製品であった。和装コートには江戸時代以来袖合羽があったが,洋風新感覚のファッション商品東コートが,明治20年代前半に,大流行を起こした。洋服に用いる毛織物は和服にない魅力であり,明治初期の大型ショールを流行させ,ハイカラ好みの後期には,東コートの大流行となった。類似品も続出し,吾妻コートの名で売られるものもあった。その後に売り出された男もののコートとともに外套屋の商品となり,緑河岸(岩本町),大門通(堀留),日蔭町(芝)に問屋街が形成された。
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百科事典マイペディア 「東コート」の意味・わかりやすい解説

東コート【あずまコート】

女性の和服用長コート。1886年に,東京日本橋の白木屋呉服店が売り出した。幅の狭い道行衿(えり)やへちま衿がつき,布地カシミアセルビロード繻子(しゅす)などが用いられた。のち,防寒,防雨,防塵(ぼうじん)などの目的によって素材,丈(たけ),形が変化し,種々の和装コートに発展した。

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世界大百科事典(旧版)内の東コートの言及

【コート】より

…マントの系列には,明治時代に男性に用いられたラシャのとんび,二重回し,インバネスなどがあった。はじめてコートの名で呼ばれたものは,明治末に流行した東(あずま)コートで,ラシャや黒八丈で作られ,袖,衿がつき対丈であった。これに似た外衣はすでに江戸時代に女合羽として用いられていた。…

※「東コート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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