東京砲兵工跡(読み)とうきようほうへいこうしようあと

日本歴史地名大系 「東京砲兵工跡」の解説

東京砲兵工
とうきようほうへいこうしようあと

[現在地名]文京区後楽一丁目・春日一丁目

明治一二年(一八七九)にかつての水戸藩上屋敷の跡地に設立された兵器工場。のちに陸軍造兵廠へと変わり、旧日本陸軍の軍事工場の一中心となった。敷地は当時の小石川町の大部分を占め、一一万七千余坪に及んだ。当工廠の前身は江戸幕府が関口水道せきぐちすいどう町に開設した大砲製造所であった。明治元年新政府が収用、東京関口製造所と改められて各種の銃砲火薬類の製造・修理にあたった。同三年には兵部省の管理下に置かれ、造兵司と改称、一時工場はたけ橋内の吹上ふきあげ上覧所(現千代田区)に移されたが、翌年六月に旧水戸藩邸地に移転してきた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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