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「大阪砲兵工廠」の意味・わかりやすい解説
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大阪砲兵工廠
おおさかほうへいこうしょう
明治前期に設立された陸軍に必要な兵器を製造・修理する官営製造所。火砲を中心に製造し,その技術発展を担った。1870年(明治3)大阪城内に工場を建設し作業を開始。大阪造兵司・大阪大砲製造所と改称し,79年10月制定の砲兵工廠条例によって大阪砲兵工廠とよばれた。1923年(大正12)の陸軍造兵廠設置にともない,同廠大阪工廠となる。陸軍省管轄。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
大阪砲兵工廠
おおさかほうへいこうしょう
明治初期,大坂城内に設立された官営軍需工場
旧幕府の長崎製鉄所の機械や職工を用いて,1870年兵部省のもとに大阪大砲製造所を設立したのに始まる。'79年大阪砲兵工廠,1923年陸軍造兵廠大阪工廠と改称,敗戦まで旧陸軍火砲製造の中心工場であった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の大阪砲兵工廠の言及
【大阪砲兵工廠争議】より
…1906年12月に起きた大阪砲兵工廠(職工数1万3600人)における争議。日露戦争を前後する時期,軍工廠や造船所など日本資本主義の根幹をなす重工業大経営のほとんどにあいついで労働争議が発生した。…
【軍工廠】より
…両者とも,明治維新政府が旧幕府,西南雄藩が建設した造船所,兵器工場を接収および新設して出発した。陸軍は東京砲兵工廠(1868年,小銃製造中心,幕府の関口製作所が母体),大阪砲兵工廠(1870年,火砲製造中心,長崎製鉄所の機械と職工を大阪城内に移した造兵司が母体)を起点とし,修理と輸入品の模造をおこないつつ,欧米から労働手段・技術を輸入して,1887‐90年には一定の兵器の量産が可能となり,村田銃(十三年式(明治13年)→十八年式→連発銃(明治22年)と改良),7センチ後装式野砲・山砲はこの時期の技術的到達点を示している。海軍は旧幕府が建設していた横須賀造船所等を接収して,1872年に海軍省直轄とし,74年に海軍兵器製造所を東京築地に新設(工部省赤羽工作分局の機械等を移し,1897年より海軍造兵廠と称する)。…
※「大阪砲兵工廠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」