東保村(読み)ひがしぼむら

日本歴史地名大系 「東保村」の解説

東保村
ひがしぼむら

[現在地名]砺波市東保

庄川右岸小林こばやし村の南と東に接する。高池たかいけ大坪おおつぼ坊村ぼうむら田中たなか石坂いしさかの五つの小集落よりなる。近世前期には井波いなみ道が通り、中田なかだ(現高岡市)からの距離は一八町(越中道記)。寛保元年(一七四一)の庄川洪水のあと対岸下中条しもなかじよう村の当田屋敷とうだやしき付近の川中で発見された梵鐘には、永正三年(一五〇六)三月二八日の年紀と「都波郡般若野庄地頭方東保郷沙門堂常住」「願主常福寺秋賢」などの銘があった(「諸旧留帳」折橋家文書)。元和五年(一六一九)の家高新帳では石坂・田中・坊村・高池・大坪の五ヵ所が独立して記され、いずれも開発組に属した。正保郷帳には東保村とあり高二千五三八石余、田方一四三町六反余・畑方二五町六反余、水損所と注記される。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二千三〇三石、ほかに同三年の新田高三五石があり、免はともに五ツ。


東保村
とうぼむら

[現在地名]太子町東保

東南とうなん村の北に位置する。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「百五拾五石 東方村」とみえるのは当村のことと思われ、木下家定に与えられている。慶長国絵図に村名がみえる。慶長一八年(一六一三)の揖東郡村々高覚(三木家文書)によると同一三年の高五八八石余。元和三年(一六一七)から幕末まで林田藩領(「太子町史」など)。正保郷帳では田方四八〇石余・畑方一〇石余。天保郷帳では高五九〇石余。


東保村
ひがしほむら

[現在地名]佐屋町東保

西に接する西保にしほ村とともに市江島いちえじま(現佐屋町・弥富町の一部)の主邑。「徇行記」によれば、概高四八一石余はすべて蔵入地。田は一九町一反四畝余、畑は一三町三反三畝余。「寛文覚書」に戸数九七、人数四二三とある。「徇行記」に「善太新田古堤通リ南ノ方ニ農屋軒ヲ連ネ一村立ノ処ナリ、高ニ準シテハ戸口多ク小百姓ハカリ也、佐屋村其外隣村ヘ越高アリテ貧村ナリ」とある。

天正四年(一五七六)以来、当村が津島天王祭に市江車として奉仕する車楽行事は、昭和五五年(一九八〇)一月二八日、尾張津島天王祭の車楽舟行事として国指定重要無形民俗文化財になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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